2017年2月5日日曜日

言葉に麻痺する

日本語には、あらゆる表現がある。
特に義務教育の中で聞いてきた言葉は、誰でも耳にしながら、
その意味を十分理解できていただろうか?
日本語として素晴らしい表現がよく登場する。

正しい
良い
あいさつ
返事
お礼
静かに

そして、年齢が上がるに連れて・・・



勤勉
奉仕
礼儀
努力・・・などなど。

それぞれの言葉を聞くと、皆その言葉に、個人的にイメージしたものものが、付いている。

あなたは、その言葉一つ一つに、どんなイメージがあるだろう?


例えば、「努力」と聞いて、どんなイメージか?

本来、努力すれば「報われる」ものである。

これは、その昔、歯科衛生士専門学校時代、実習実習助手をしていた頃、
新しく入った学生に、実技を一から教える際、

「こんな、ぶきっちょさんでも、訓練したら・・・・・できるもんだわ。」と、確信した経験がある。

歯科は、ただでさえ特殊な分野で、手先の訓練を必要とする。その訓練に相当な時間かける。
できるまで、学生に付き合うつもりが、かなりのレベルまで上達し、達成感を味わう。



しかし、まちがって、「努力」とは
やっても無駄なもの
結果が出なければ、意味のないもの
面倒くさい
疲れる


など、本来の言葉の意味とは違う、その時経験したイメージが、意味の代わりになって感覚が狂っていないかということである。

これは、後に再度何かを学びたいと思った時、それとは逆方向のイメージの力で、
学びたい意欲を、「努力」した途端に、三日坊主の力へと引っ張ってゆく。

言葉を聞いただけで、「再チャレンジしても、どうせ無理」、と決めつけるのは、
頭の中で、言葉のインプットしなおし教育が必要だ。


コアラの会合、あなたも仲間に入る?


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