特に義務教育の中で聞いてきた言葉は、誰でも耳にしながら、
その意味を十分理解できていただろうか?
日本語として素晴らしい表現がよく登場する。
正しい
良い
あいさつ
返事
お礼
静かに
そして、年齢が上がるに連れて・・・
知
徳
体
勤勉
奉仕
礼儀
努力・・・などなど。
それぞれの言葉を聞くと、皆その言葉に、個人的にイメージしたものものが、付いている。
あなたは、その言葉一つ一つに、どんなイメージがあるだろう?
例えば、「努力」と聞いて、どんなイメージか?
本来、努力すれば「報われる」ものである。
これは、その昔、歯科衛生士専門学校時代、実習実習助手をしていた頃、
新しく入った学生に、実技を一から教える際、
「こんな、ぶきっちょさんでも、訓練したら・・・・・できるもんだわ。」と、確信した経験がある。
歯科は、ただでさえ特殊な分野で、手先の訓練を必要とする。その訓練に相当な時間かける。
できるまで、学生に付き合うつもりが、かなりのレベルまで上達し、達成感を味わう。
しかし、まちがって、「努力」とは
やっても無駄なもの
結果が出なければ、意味のないもの
面倒くさい
疲れる
など、本来の言葉の意味とは違う、その時経験したイメージが、意味の代わりになって感覚が狂っていないかということである。
これは、後に再度何かを学びたいと思った時、それとは逆方向のイメージの力で、
学びたい意欲を、「努力」した途端に、三日坊主の力へと引っ張ってゆく。
言葉を聞いただけで、「再チャレンジしても、どうせ無理」、と決めつけるのは、
頭の中で、言葉のインプットしなおし教育が必要だ。
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