2017年2月26日日曜日

子どもの気持ち

私達が子育てを始めたとき、自分の感覚の中には、今までに培った経験から、あらゆる固定した感覚が備わっていた。
子どもと遊ぼうとすると、時としてその感覚が、子どもの感覚とのズレをうむことがある。
殆どが、そうじゃないだろうか?

なんでこんなことするの?
そうじゃないよ、こうだよ
そうしたら、かっこ悪いよ
こっちが好きだな
子どもがすることすべて、悪戯に見えてしまう、本当に悪戯?

 子どもは、一体何をしようとしているのか?

どのあたりが、今までの生活の中で学習していて、子どものそのままの感覚で動くとは
どんなことなのか?

大きくなった子どもは、意見する。

食器洗いを共にしてくれた小学生の男の子。
洗いあがった食器を拭いてくれた。
ふきんが段々水っぽくなる。
次の新しいふきんがほしいと言うから、「あっちに干してあるから、どれか持ってきて」と、頼むと面倒なのか、
「あ、まだまだ拭けるところがある。上下左右、更に表と裏!真ん中も!」
「…本当ね、将来、着替えの仕方も、こんな感じだったりして!?」
そばにいたおうちの人は、
「この子、しょっちゅう着替えするんよ~」と、言う。

するとその子は、こう返した。
「子どもにはねえ〜、子どもの気持ちがあるんよ。」

大人は、子どもに悟される。

「はい、おっしゃる通りです。そんなに、じみじみおっしゃるあなたは、
よほど経験を、お積みですね。」

大人中心に回る生活の中で、子どもの気持ちは子どもの中で確保されてる。

いちいち説明はせんけどね〜、子どもだっていろいろと考えるんよ。


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