だから大人はなんでも知っていて、 大人になれば判断が正しいものになるのだと思っていた。
そして、大人になった。
自分自身の中で育ったものがあるが、昔思っていた完全体ではなかった。
そして自分の中の育ちには、良くも悪くも育っているものがあることがわかった。
よく育っているものは、自分が自分らしくある方向で表現される。
しかし良くないものも、確かに育っている。
ほとんどの場合は実感できない中に埋もれて、よろしくないタイミングで、表に現れる。
抑えがたき、みっともない感情がそれだ。
さらに、子どもの時のまま育っていない、大人になっても未熟で放っておかれたままになっているものもある。
そんな自分の中の、棚卸し作業をすることなく、
事が起これば、おこりっぱなし、時がすぎれば解決するさ。
まあまあ、仕方ない仕方ない、・・・あきらめも肝心。
要するに、行き当たりばったり、右往左往。
これを、繰り返して育ちあがったものが、今の自分。
逆に考えるなら、育てたいものはこれから育つように意識すれば、育てられる。
どうやって?
自分は、どうなりたいか?
変えたい、変わりたいと思うのか?思わないのか?
自分の中でそんな問いかけが積み重なって、自己サーチがはじまり、
ようやく「縁」が生じる。
萩の明神池で、鳶と遊んだ。か・な・り、ハマる。 |
心の若返りという、明るい未来が今の準備で起こる。
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