2016年11月30日水曜日

親孝行

一週間ほど、実家の両親が遊びにきていました。というよりは、お手伝いに来てもらいました。
我が家は、急に7人家族になり・・・

なんだかお台所仕事など、わんさかあるが、とても楽しい一週間を過ごしました。

しばらく、実家に帰ることもなくなってしまいましたが、我が家の引っ越しと、留学生さんのダブル話題にて、今回は応援を頼んだわけです。

大勢の家族は、久しぶり。
老夫婦生活から一転し、本人たち曰く、

「ボケる暇もないほど、忙しい。テレビも見ないし、薬飲むのも忘れる・・・」だって。

どれも、いらないんじゃないの〜?

確かに、今までの家事量からいくと、産後間もない頃に次ぐ仕事量か。

段取り良くこなしていく、ぼやぼやしてたら、うっかりポンで大慌て。


そのかいあってか、リフレッシュができて、更に「お金では手に入れられないものが、ここにある」と、喜んでくれた。

生きているうちに親孝行できたのかな、と思う瞬間だった。

そして、お金で買えない大切なものとは、「心の若返り」だそうである。

人は、人同士で大きく刺激を受ける。
良くも悪くもあるならば、良くなり、若返りが起こった両親は、
いきいきして、楽しい刺激をたくさん受けていった。

なぜ今こうしていられるのか?
過去を紐解いていくと、全てが偶然ではなく、必然であったことに気づく。

誰にでも、生きてきた全てに、無駄はない。









2016年11月28日月曜日

行き当たり、ばったり計画?

近所のスーパーレジ待ちで、ばったり出会った、実父にそっくりの近所のおじさまは、
手先が 器用でチャレンジ精神たっぷり。おもしろキャラで、やるときゃやる。
今までにあらゆることを助けてもらいながら、地元に馴染んでいく私達家族の様子を側で
じっと、見守っていてくれた。

「来月、地区の餅つきですね~留学生さん連れて行きますね~。」
「おっ、それそれ、今回は何でまたこんな話になったんか?」
「あー、それよく聞かれるんですよ~、じゃ今度のもちつきで、その話をしちゃいましょうかね。」

「それがええね、(みんなに説明するなら)話も一回で済むしね。」
「じゃあ、私と掛け合いでしましょうよ。」
「おう。ええよ。」
と、この突然の計画が行われたのは、11月の満月の夜だった。



もうすぐ、地元恒例の、もちつき行事が開催される。
「今年もみんなでお食事をする前に、口の中にまつわるお話をしてね。」と、声をかけられている。

今年で3回目になるのかな。毎年約80人近くが参加するこの行事にお馴染みとなり、さて今年はどんなお話にしようかと、構想中。

と、このタイミングで入手したお口の体操。よし、これいこか!食事前にピッタリ。

「歯科衛生士といえば、歯磨き」と説かれる時代は、もう古いのかも!?

口からはじまる健康を考えれば、歯ブラシを持つ前に必要な話は、たくさんあるのだ。

そりゃやっぱり、
笑うことでしょ、口を動かすことでしょ、知れば知るほど目から鱗を落とすことでしょう。








2016年11月16日水曜日

若返っている人、紹介

40代になった時に、出会った学び。
これは、私にとって衝撃的でした。
どうして衝撃だったかというと、

それは多分勉強しなかったら、どうなっていただろうか?
この部分を考えれば、恐ろしくなるくらいだから、今思えば「あーよかったな」と思う。

おそらく、学ばなかったらその後考えられる生活で、きっと言い訳や考えていたことがある。

もう歳だからかな、
だって、面倒くさいし・・・
そんなことまでやりたくなーい
もっと楽に、安く!!それが生活するのに一番大事。
自由な時間がないかな〜
あ、子ども帰ってきた・・・、あ、ご飯作らなきゃ、え!?今忙しいよーう、いそがしいって!!


と、心を亡ぼしにかかっていたんじゃないかな・・・。


いや、そーじゃないよ〜。全然解決しないまんま、毎日終わっているよ〜。
「子どもと共に、親も成長する。。」ってよく聞くから、そのうち・・・?なるようになるのか・・・??と、思っていたら、そうじゃなかったよ。
この言葉をきいて安心している場合じゃなかったのだ。私には、完全な落とし穴だった。

時間を重ねて生きていくってことは、その瞬間ごとに、自分の頭の中に何かを積み上げている。
その何かを知りさえすれば、今後の自分をどう取り扱えばいいかが、わかってくる。

そんな学びを、私は40代から始めたのだ。
科学的根拠に基づく、法則性を頭に入れる学び。



http://www.fuminn.com/list/2016/11/post-212.php

このページで紹介されている、アメブロのハナミズキさんは、勉強仲間であり、人生の先輩だ。
このところぐっっと、頭の中が若返っているような気がする。

人生いつでもやり直せるとは、このことをいうのでしょうか?

この先輩お母さんが、子育てを失敗したと嘆くお母さんへ、呼びかけてもいるようです。

そして、どう考えれば生き方が変わっていくのか?という懇切丁寧なプログラムを、毎日聞いて学び得たことが、ブログに書かれています。

え、毎日勉強!?めーんどくさーい!(・・・ほらほら、聞こえてくるよ。)
勉強=つらくて、もうやりたくないもの、やっても無駄
と、私達が学んだのはいつなのでしょう。

勉強=「その先が気になる、面白い学び」だったら、どうでしょう?
時間をかけて、ゆっくり育てると、ある時急に芽が出る時が必ず来る。

そんな、芽を見ながら、私の芽も育てよーっと。










2016年11月13日日曜日

新しい家族

いらっしゃいました、我が家に留学生さん。
日本へ来て、早2ヶ月。日本に5ヶ月滞在予定。
その続きは、我が家で受け入れです。
この度、初めての出来事、私自身たいして英語が理解出来ているわけでもないのですか、ちょっとしたきっかけからこの話が来たとき、「それ、やってみてもいいな。楽しそう。」と、思ったのが、第一印象。
その後、家族会議、即決。

とうとう、待ちに待ったその日がやって来ました。
子どもが一人増えた感覚、だけど赤ちゃんの様に手がかかる訳じゃない。
が、具合がわからない感じは、新しい命が来たときみたい。

いろいろと、聞きたいことがある。
言葉の壁を超えるというハードルがあるとよく聞きくが、恐れることなかれ、それ以上に人間味で通じるところがある気がする。

何を言おうとしているのか、お互いが知りたいし伝えたいから、歩み寄ろうとする様子は、なんとなく感じでわかる気がする。

気持ちが伝わる感じ。


喜んでもらいたいし、困っていたら助けてあげたい。
それは、我が家族にとっても同じこと。

だから、家族でそろう時間が持てる時は、貴重な集まりの時間になった。

話せば話すほどわかるし、共感できる。
何よりもお互い興味を持っているからこそ…。

「言葉」を、1つでも伝えたくて
英語は話せた方がいいし、わかった方がいいから、今日も英語アプリ5分間勉強をやってみる。
今日のおやつ…の残り。


2016年11月9日水曜日

秋のお祭

毎年恒例、小学校の秋のPTAのお祭りが行われます。
今年もやります、おはなしかい。

年々定着しつつあるこのお楽しみは、その年に集まる図書ボランテイアメンバーで、できることをします。

今年は、我が家に来てくれたオーストラリア高校留学生の協力が得られたため、国際色豊かに楽しめるお話会を構想中。

はじめの一歩は、火付け役が一人。

その後に、他の人が一人二人と参加してゆく、なんだか面白くなってきて・・・最後は全員手拍子の、大宴会状態になっていく、という運びを考えています。

以前はシナリオ通りにしてたものも、シナリオがあるようでない方が、楽しいことに気づきました。

つまり、失敗はない。

言い間違いなんて、なんのその。言い直せばまた始められます。
小道具を落としてしまったって、順番間違えたって、また始めればいいのです。
頭、真っ白になったら・・・?みんなの前なら、独り言は大きな声で言ってしまいましょう。

そこんとこ、問題なし。

見てわかることを、その場で表現すれば、即興のお話や歌もできてしまう。
しかし、ただのおもしろおばさんなのか?と聞かれれば、それはそれは、ちょいとおまち!

学校で習わないことを示して教えるのが私の御役目かもしれません。

失敗恐れる事なかれ。

すぐ後に、どうつながるか、どうつなげるかは、その人の心の準備とその持ちよう。

よく見て、集中して、ヒントが見えたらいつでも、
「あ、それおもしろい、使えるかも。」

何事にも「考える」ことを感じて、前に進んでいくこと。
予定外の事態があれば、そんな時、大人はどうしているのだろう?

そんな大人の様子から、子どもたちは見て学んでいく。

楽しそうに、お話会している家族の一人が、子どもたちの前にいる。
保護者を見つめる子どもにとって、家では見ることのできない一面から、何かを学ぶ。

今年初めての、もちつき。







2016年11月6日日曜日

Family mottes.

家族は助け合うこと
Family  helps  each  other.

家族は誰も傷つかないこと
Family  must  not  injure  each  other.

家族は家族のためにたたかうこと
Family  must  fight  for  my  family.

わが家の家訓、お父ちゃん作。


これができたきっかけは、息子に家族の在り方を解く必要から、「よし、家訓をつくろう」ということになりました。
わが家のお父ちゃんがいつも家族に言い聞かせること、いつか大人になり、父親になる息子に、家族を守る男は、その覚悟がいるということ。

「男はそこんとこ、頑張るんじゃ」と、熱が入る意気込みを、そのまま見せてくれました。


そして、タイムリーな話、
オーストラリアから、高校生の留学生を受け入れ、わが家でしばらく一緒に暮らすことになりました。

受け入れの条件に、家族の一員としてその役目を果たす生活をさせる、ということがあります。


突然こんな話が我が家へ舞い込んできたことも、結局必要だったらからだと認識するようになり、
「出くわしたことすべてを糧にする」
「出逢いは必然である」
「 目の前の出来事はすべて自分が引き寄せている」

のだとしたら、快く引き受ける他、ありません。

「郷に入らば郷に従え」という言葉がありますが、では逆に、家族であるためにはどんな心構えが必要なのかを、考えるきっかけになりました。

だってその後、我が家の家訓が、英語版と共にできたのだから。

今だから、できることがある。
今だから、できたことがある。

今という、チャンスを取り込んで、また一歩進む。






2016年11月1日火曜日

スッキリする自分に会おう

社会人も長くやってると、社会に合わせた自分が出来上がってくる。
時間が早く回るし、コンピューターもどんどん普及されて、機械のスピードに追われ、追い付けと、目まぐるしい。
心の平安など、どこへやらの、日々だ。

それは、自分が望んだ生活だろうか?今の社会に合わせる。

それは、

自分のこと考える時間が無い生活、ということじゃないかな。

そして、あるとき急に不調の波に襲われ、自分と向きあう時間がやってくる。

体のどこかが痛いのか?
心が「イタッ。」と、言っているのか?

それが察知できないまま?というよりは、自分に察知する感覚をOFFにして過ごすことさえ、
人は出来てしまう。

何か大事な決断が必要なのに、
少し長くかかりそうで、面倒に感じる事、
気が乗らないからと後回しにして・・・、
                                                                        そのまま、忘れてきた。


それに甘えた矢先、大波小波がやって来て、
ざっぶ~ん!!と、のまれて、あわててしまう時がある。

こんなことを繰り返した自分には学習が必要であった。

「こうすればよかったのよ。」と聞く前に、何がどう間違えていたのか? に、疑問を持ってみてはどうだろう?

ところで、80をとっくに過ぎた私のお姑さんは、
大変ユニークな人で、やらかしてしまった失敗には、上を向いて「まちーがえ~た!」と、言う。 大抵お義母さんにお小言を言われた時 に、「ごめんね」という表現として使う。
 嫁に来て初めてこの言葉を聞いた時、「そうか、そう言ってしまうのか」と納得した 。
「迷惑かけてごめんね」という言い方もあるけど「間違えた」とスッキリ認めてしまった方が、正しく次に進みやすいことに気づいた。 悪気はなかったのだ。
そして、このお姑さんは私にとって、とても可愛らしく思う、大切なもう一人のお父さんである。

私たちはよく間違える 。

そんなときは、「間違えた」と立ち止まってみる。
そして、どこがどのように間違えたのか、少し前を戻って考えてみる。
きっとどこかで、掛け違えて進んだところを、見つける。
それから、
正しくは「こう!」と、自分に教えたい。次の新しい自分を思い描き続けて。

至ってシンプルだけど、それが間違えた自分を軌道修正する。

やり直しは、何度してもいい、いつしてもいい。


「私がやらねば、苦しくても我慢せねば」
「その一歩が、踏み出せない」
「絶対、無理」


など、あらゆるパターンで自分の領域を囲わなくてもいい。


水がすんなり流れるように、

流れに乗って、その中を舞うようにスッキリした自分で、進んでいこう。

新鮮お野菜がとどきました。


大根葉は、ふりかけに。
見た目一緒、味二種類。ごま油白と深入りの茶色で。