2016年10月11日火曜日

自分を育てる方法

義務教育で習わなかった事で、大切な教科があるとしたら「自分」という教科なのかなと思う。

自分自身を、自分で確かめる授業。
主に、自分に対して考える授業。

先生の仕事は基礎を説明すること。それに対し自分の経験や考察をもとにして、その得た小さな成長を書き記す。
定期的に、生徒の理解度を「テスト」のように今の自分の状況を、説明または文書にしてもらう。

そして、後になってもう一度その内容の振り返りをした時に、自分の成長を確かめる。

人間の成長は、回顧的で円錐螺旋形に成長を遂げる。

山登りのように振り返ってみて、その高さを知ったとき、実感と納得がセットでやってくる。
この、認識方法が勉強には必要で、習うべき重要ポイント。


順位は出ない。成績もない。なぜならば競わせるよりどれ程の理解があるかを自分で認識できるよう確かめるほうが、大切だから。

そこで、意味を取り違えたり、ただ覚えることだけに、集中していたらその小さなひずみが、後何年後の自分の中にできる判断力として働いて行けない。

私たちは、生きている間、選択するタイミングが幾度と無くやってくる。

そんなとき、どの道を進むべきか判断に迷う時がある。
自分に、確かな判断基準が根底にあれば、あらゆる問題がやってきても、方向を指示していける。



そんな未来をその子に持たせるための、「自分」という勉強。


そんなシステム、あったらいいなと思う。過去にさかのぼれたら私だってそんな勉強をしてみたかった。


悩みをたくさんかかえて、
「いつか楽になりたい」
「これさえ済めば、その先に・・・。」
「どうせできない」

あらゆる辛い言葉が、きこえてくるようだ。

自分はいつからでも育てられる。
を、信じて、

わからない自分をわかりたくて、
衝動にかられて失敗してしまう自分から脱却したくて、
物事の捉え方、考え方の技術を、


学び・・・今振り返って、

変化したことは・・・


以前なら「無意味」と投げ捨てるように、小さな成長を認めなかった自分が、その重要性に気づくことができた。それに気づいたら、今までとは違った視点を生み出してくる。

家族の会話も、前向きに捉える言葉のキャッチボールが上手になった。
夫との会話は、ワンランク質が上がった気がする。

そして、「ありがとう」と言う回数が、増えた。


それらは日常の小さな成功。これを積み上げていくことが、自分を育てる方法だったなんて、

「ふーん」と聞き流してしまったら、

「おっとどっこい、それは自分の頭が寝ボケてしまってる。」


強力な目覚まし時計を自分に。

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