2016年10月30日日曜日

繰り返しの楽しみ

芸術の秋とあって、小、中学校共に、音楽会のシーズンです。

兄弟共に、歌や楽器の演奏に、日々練習を重ねます。

私は、最初の手なれない練習風景から、次第になめらかな音の運びになってゆく様子を、じっと聞いているのがとても好きです。

練習中の音を聴きながら、
いつもつまるところ、音がうまく取れないところは、やはりくりかえして自分に教えこむしかないと思い
ますが、当の本人にとってはとても面白くない作業です。

そんなときこそ、
「何回もやってみて。絶対うまくなるよ。練習してる音を何回も聞きたいから」
と、応援します。

例えば、

うまくいかないところだけを抜き出して、繰り返してみる。それが1小節でも、まるで壊れたおもちゃみたいに、何回もやってみるんよ。
そして、できてきたら、音符を少しずつ増やしてみたら?

と言ってみる日もあれば、

昨日よりうまくなったね〜、やっぱり練習しただけあるね。

というと、「えー、ホント?」と信じられない様子。

聞きながら、私も集中して、メロデイやタイミングを一緒にたどっていくと
わかってくる。

確かに上手になっている。


そんなやりとりをしながら、自分で練習する時間をしっかり持つようになり、

「今日の練習はここまで。」の、区切りが自分でつけられるようにはなれば、うまく軌道に乗ってきている。



このプロセスって、人が何かを習得したいとき、必ずしていることだ。

覚えたいという気持ちがあればこそ、心ある応援と共に成長していく様子は、みんな一緒なんじゃないかな・・・。

応援をして、頑張っている様子から、勇気を与えられる。

私も、がんばろーっと、気持ちのテンションが上がる。

そんな連鎖をたくさん生み出して行ける、仕事をしていきたいと思う。

じーっと、見ていたくなる、おもちゃ。お気に入りでした。

2016年10月29日土曜日

鼻歌

娘は、ご機嫌なとき、鼻歌を唄う。
お風呂にはいっているとき、
何か好きな作業をしているとき 
ワクワクすることかあるとき、

「フン、フン、フ~ン」と、聞いていてこちらも、微笑ましくなる。
兄に言わせると、「音程違う!」と、ピシャリとやられる、兄の耳には何の歌をうたっているのか、わかるらしい。


私たちにとっては、音程よりも、その心の状態に癒される。

娘は、あらゆる大人から、「癒されるね」と、言われながら大きくなった。

ニコニコして、嬉しそうな姿。どんな気持ちが湧いているんだろう?
意図的なものではない自然な感情は、内側から「~したくてする」力が働いている。

普段私たちにも自然に発生してくる感情は、それまでに蓄えがあるから、無意識に力となって現れている。


嬉しいと、ワクワクする気持ち
やる気や、テンションが上がる気持ち
応援したくなる気持ち

が、普段から蓄えられ、準備されている。

反対に
カチンと、怒りのスイッチが入るときの気持ち
人がうまくいってるときに、嫉妬したくなる気持ち
ちょっと皮肉を言いたくなる気持ち


あらゆる場面で、ふと湧き出す感情に見えるが、これも日常育てられ、準備されている。

いい感情は、出ても問題を起こさない。むしろ、周りにいい影響を与えられるそんな力を持っている。
けれど、トラブルになりそうな感情は、ある程度自分の中で抑えたり我慢しながら、社会とバランスを保とうとする。それは、自分の心にブレーキをかけたり、そんな自分を認識しない事を教えている。
心は、ブレーキをかけたり無視されると、力を失う。

そのままの自分でいいことが、一番のストレスフリー。


どんな感情が、多く現れるだろうか?
気分のいい感情と共に、誰もが過ごして行きたいと思う。

気分のいい鼻歌は、大人でも歌う。

そばにいる人も、なんだか幸せな気分になる。力を持った感情は伝染する。

そのままの自分に、喜んで向き合える人生を目指して学んでいこう。
花をいけて遊ぶようになった娘


2016年10月24日月曜日

歯っ、歯っ、歯~ その2

その1から、続いて園児ルームへ移動し、お待ちは現役保育園児、年中、年長さん。

今年は、箱を3つ開けました。
いつもの、大きな口模型のほか、ホンモノの歯箱入りを2つ、
もう1つおまけに、ホンモノの歯を首から下げて…。
この重要な品物を惜しみ無く提供して下さったS 先生、本当にありがとうございました。

園児は、それはもう大興奮でした。

首から下げた、いのししの歯(牙)をみて、
「ドラキュラの、歯~!」
「恐竜の歯~!」
「鬼の歯~!」
「先生の歯~!!」

と、まあこんな具合で、
今回は「歯はどんなお仕事があるの?」と、質問に質問を重ねて進んでいった、何とも楽しめる時間でした。

質問すると、園児は必ず答えてくれます。
うるさくなっても、こんなにやりがいあるパワーは、私にとってかなり、やる気のわく瞬間です。
ボケ役は、勿論お任せください。

写真の真ん中の歯の模型は、人間の子どもの歯(=我が子の使用済み乳歯。一本消え失せてしまいました。)、
一番身近で、自分の口と同じものが、箱に入っていることに、驚きのようでした。

あとどのくらい、使うのかな?
それまで毎日、ご飯を噛んで、口の中で唾液とまるめてゴックンする。
「どうしてそんなことするのかな?」また、また、質問で進む。

最後に、とっておきの「誰かの歯が入ってる」と、マッコウクジラの歯~で、おしまいと。

園児:「又、持ってきてねー!」
私:「蓋開ける呪文、覚えていてね~」

一期一会、皆さんまたお逢いしましょう!

2016年10月23日日曜日

歯っ、歯っ、歯~!その1

今年も保育園子育て支援センターで、歯のお話をしました。
12組の 子育て中の 親子さんと
和気あいあいとした雰囲気の中 、お話が進みました 。
昨年から座談会形式したところ、かなり好評だったため、


質問にお答えしながら、あっという間の1時間20分。しゃべりました、歯の話にどどまら、育児を通して出逢った知恵や知識から、どのように生活に取り入れていったのか?
そこから広がっていった私たちに必要な情報。

それらを処理するには、誰にでもできる「考える」と、いうことを忘れてはいけません。

最初にいただいた、参加者さんからの質問は、

歯の磨き方はどうすればいいの?
虫歯にならなくするためには ?
仕上げ磨きが、うまくいかない。
おやつについて、あげるべきかどうか葛藤がある、どうなの?
歯みがき粉について、安全性は? 

情報がいろいろあるだけに、関心も高いようです。



私がお話しした内容は、
生活の中からできあがるムシ歯、食生活習慣による影響

 歯磨きするなら、その練習を親子でどのように取り入れて軌道にのせるか?

 よく噛んで食事をすることの大切さ、そのために離乳期からの、食べさせ方の誘導の方法、 等。 



そして、
私たちは、子育てをしながら便利で不自然で危険と隣り合わせの中、本当の豊かさを求めている。

歯ブラシ を持つ前に、しておくこと、知っておくことは、たくさんあるのです。

あくまでも口は 体の中の一部です。

大人だって、寝不足続いたな…風邪をひいたかも…今日は疲れたな…というときは、口の中もどこか調子が悪い。

大人も自分の体に聞いてみる。
いつもと違う感覚を、感じてみる。
今日の疑問に、生活を振り返ってみる

不調という麻痺の感覚を正すために。
目の前のことに考える感覚を取り戻すために。

2016年10月18日火曜日

チャレンジ:白ごま油

一か月ほど前から、 アーユルヴェーダ による白ごま油 の 活用法の情報が気になってました。
我が家では3~4年前から料理に白ごま油を使用しています 。
これは、正食料理教室に 通ったことがきっかけで使い始めました 。匂いや味もきつくなく、炒め物や サラダなど 何でも使っています。
 その白ごま油を 体の健康法として位置づけているのが アーユルヴェーダの万能薬白ごま油 です。
オイルマッサージや、乾燥対策 にもいいそうですが 、私が興味を引いたのは 「うがい」 として使用することでした。

約5000年前からインドでは、このような健康法があり、今もなお情報として検索できるということは、先人から学ぶ価値があり、それを実行する人もわりといるのだと思います。
そして、タイムリーなことに
同じ情報に出逢っていたある患者様が、「知ってますか?」と、私にお話を振ってくださいました。
これは!!始めるタイミングだなと、感謝し
思ったわけです。
早速、温度計、耐熱容器を揃え一気に作り、うがいをしてみました。

胡麻油の下準備(キュアリング)の様子です。
今回使用の油です

小鍋、耐熱計量カップ、温度計、保存用瓶(遮光がよい)

保存用瓶に合わせた量を、じっくり湯煎にかけてみました。
90℃を確めて火を切ります

冷めたら保存用瓶にいれて出来上がり。
冷蔵で3ヶ月持ちます。足りなかったりして…!?

最初は、慣れないもんです。口に大さじ1ほど入れて、ガラガラ、ブクブクうがい。
油のうがいは、みずと比べて重たく、まるで、口の中の筋トレです。
時々休みながら、約2分。
その後、ティッシュに吐き出します。

うがいをしていると唾液もでて、油が柔らかくなります。舌下の粘膜から、抗酸化作用のある胡麻油が体内へ吸収されます。
さて、次の日の朝驚いたことに、口の中がスッキリしていました。いつもと全く違うのです。


更年期時期の女性ホルモンを整えたり、アンチエイジング、抜け毛、白髪予防、口臭予防にもなります。

食用なので、魅力的ですね。
じっくり効果を試すために、夜うがいを取り入れてみます。

大切な自分を、お手入れする時間、あってもいいんじゃないですか。
自分の体を知って、セルフケアしてみよう。

2016年10月15日土曜日

小さな挨拶

日常生活の中で、買い物などに出かけると、
よく視線を感じるときがある。それは、ベビーカーにのった赤ちゃんや、小さい子どもの視線。
「ん、私の顔に何かついてる?」と、聞きたくなるほど見られてしまう、ジーっと。 
先日会った2際くらいの男の子は、お母さんが書類作業しているそばで、 子供の世界を楽しんでいた。
そこで私と 目が合ってしまった。
やっぱりじっと見る。

そのまま 両肩を キュキュッと2回上げて合図をした。
…きた!、直感的合図と言う名の?子ども会話?…
それならばと、私もそれに応えるように 真似して肩を2回あげてみた 。
すると、 また肩を2回あげて返してくれた。

私は 嬉しくて微笑み返しながらじっと見ていた。二人の間に会話はない。彼は真顔である。

 宇宙人みたいに交信してる感じだ。

こんなとき、大人の知恵による、気を聞かせたつもりの会話は、子ども世界を変に邪魔する気がする。


次また会えるかわからない、すれ違ってもわからないかもしれない、 だけどこの一瞬、心が通った時の感覚は、人だからできる年齢関係ない、「今を生きる」感覚。

大切なことは、いつも目の前に来ている。 

大切な瞬間を逃さないようにすると、楽しく生きられる。
娘より、修学旅行お土産


2016年10月11日火曜日

自分を育てる方法

義務教育で習わなかった事で、大切な教科があるとしたら「自分」という教科なのかなと思う。

自分自身を、自分で確かめる授業。
主に、自分に対して考える授業。

先生の仕事は基礎を説明すること。それに対し自分の経験や考察をもとにして、その得た小さな成長を書き記す。
定期的に、生徒の理解度を「テスト」のように今の自分の状況を、説明または文書にしてもらう。

そして、後になってもう一度その内容の振り返りをした時に、自分の成長を確かめる。

人間の成長は、回顧的で円錐螺旋形に成長を遂げる。

山登りのように振り返ってみて、その高さを知ったとき、実感と納得がセットでやってくる。
この、認識方法が勉強には必要で、習うべき重要ポイント。


順位は出ない。成績もない。なぜならば競わせるよりどれ程の理解があるかを自分で認識できるよう確かめるほうが、大切だから。

そこで、意味を取り違えたり、ただ覚えることだけに、集中していたらその小さなひずみが、後何年後の自分の中にできる判断力として働いて行けない。

私たちは、生きている間、選択するタイミングが幾度と無くやってくる。

そんなとき、どの道を進むべきか判断に迷う時がある。
自分に、確かな判断基準が根底にあれば、あらゆる問題がやってきても、方向を指示していける。



そんな未来をその子に持たせるための、「自分」という勉強。


そんなシステム、あったらいいなと思う。過去にさかのぼれたら私だってそんな勉強をしてみたかった。


悩みをたくさんかかえて、
「いつか楽になりたい」
「これさえ済めば、その先に・・・。」
「どうせできない」

あらゆる辛い言葉が、きこえてくるようだ。

自分はいつからでも育てられる。
を、信じて、

わからない自分をわかりたくて、
衝動にかられて失敗してしまう自分から脱却したくて、
物事の捉え方、考え方の技術を、


学び・・・今振り返って、

変化したことは・・・


以前なら「無意味」と投げ捨てるように、小さな成長を認めなかった自分が、その重要性に気づくことができた。それに気づいたら、今までとは違った視点を生み出してくる。

家族の会話も、前向きに捉える言葉のキャッチボールが上手になった。
夫との会話は、ワンランク質が上がった気がする。

そして、「ありがとう」と言う回数が、増えた。


それらは日常の小さな成功。これを積み上げていくことが、自分を育てる方法だったなんて、

「ふーん」と聞き流してしまったら、

「おっとどっこい、それは自分の頭が寝ボケてしまってる。」


強力な目覚まし時計を自分に。

2016年10月7日金曜日

GOサイン

その説明、よくわかります。と、言われるときがある。
いろんなパターンと、
基礎的な説明も、その人の理解度や、生活環境に合わせて表現する。
例えば…と、続くならこれから起こりうる可能性を含めると、より想像しやすく、心の準備もしやすい。

同じことを習うにも、人が変われば、新鮮に感じることもある。 
人がかかわり合う世界だから、好みもあるだろう。
そこから発展する何かには、それに見合った展開が待っている。

一緒に居合わせたから出来た話、小さなきっかけが生まれたこと、予測のつかない展開になっても、それが後になってよかった結果をもたらすのなら新しい未来が生まれたことになる。

人は自分から発信すると、歯車が噛み合いながら進み始める。

進展または後退、どちらに進むも、どう進むも、それはいつも自分が思い描いていることが、
現実化している。


普段何を思い、どんな考えを巡らせているのか。
隠しても隠しきれないものまで、目の前に現れる。



もう隠すものなんてないから、そのままの私を堂々と進んでいきたい。

私は進展を望み、前向き、素直、率直、閃いたらそれが、GO サイン!!心が動き出す。



たった今のジャストフィットを、いつも考える。
一番うまく出てくるときは、相手と掛け合いの中で生まれてくる。

関わった人にしかわからないかもしれないけど、それは現時点、生きている充実感があって楽しい、だから人は、お互い人の楽しさを求める。

物よりも、魅力を感じるのは、人から生み出されたもの。
あらゆる人はそこにたどり着きたがっている。


そんな魅力いっぱいになれば、人は愛し愛される。


2016年10月1日土曜日

自分のちからで

自分の足で立つ
それがどんなに小さな段差であっても、小さな1段であっても、超えて立つ。

 1分1秒の時間が早く流れる日々に過ごしている私たちは、

時間にたくさんの行動を押し込めて、二段飛び三段跳びと大きく飛び越えながら生活している。

果たしてその中に自分の一歩を確かめる充実された時間はどれほどあるのだろうか?

自分が納得した達成感を持って過ごせる時間はどれぐらいあるのだろうか?


そう考える間もなく次から次へとこなすべき仕事がやってくる。
そんな仕組みの中に私たちは、生きている。

いつか、立ち止まって考えるときがある

いつか、立ち止まれば、疑問を投げかけたくなる時がある

いつか、その置き去りにしていた、段飛ばしの過去に向き合う時がやってくる

それは不意打ちをするように、突然にやってくるのかもしれない。
その時自分は、瞬時に驚いて何も言えなくなるか、
瞬時に立ち向かえるか、はたまた避けて去るか。


今まで、どれかの方法をとってきた。

しかしこれから先は、
障壁となる壁を、一段ずつ越えていく。

飛び越えるためには、上手に飛び越える方法はない。自分の足で下手でいいから飛び越え続ける。

だって、越えるための練習してるんだから、上手なわけないじゃん。

大丈夫、いけるさ。