2016年5月31日火曜日

今日はどんな日だった?

1日があっという間、
今日は、一体何を見て、感じて、疑問はなかったろうか?困った事はなかったかな?

瞬間に、「あれ…?」と、思った事がある。
会話しながら、気づいた事がある。
その日、心に残った事がある。
それが全て、自分に必要な情報だったとしたら、それは私にどんな刺激を与えているのか?思いとどめておかないと、ただ流れ去って行く。

私には、私に必要な情報がやってくる。
1日を整理する。
共通してくるキーワードは、「人はそれぞれ、何の為に生きるのか?」
生きる為に、する事は何なのか?

食べる事?
子どもを学校に行かせる事?
与えられた、仕事をこなす事?
家事をする事?
全部毎日するのだけれど、その先に何があるのか?と、問いかけていくか、ただ流れ去っていくか。

今、する事のみに、没頭して本当に考えるべき事を、忘れさせられる日常。



過去を振り返って今ある自分をたどり、これから向かう方向を考えてみる。


私にも、私らしい役目がある。
私にしかできない形がある。
想像して、未来の計画を立てる。
手応えを感じる生き方に向かい続けるために。




子どもの発想に任せると、ちゃんぽん麺の上に、焼き海苔とトマト




2016年5月27日金曜日

イメージの湧くとき

頭の中で、良いイメージをシュミレーションすることは、プラス思考の上達を、かなりのスピードで助けていく働きがあります。


今できていないことをよそに、できたを状態シミレーションする。

それに、矛盾を感じるでしょうか?


頭の中であれやこれやと想像することは自由でしかも自分で自分をつくりあげる行動なのです。
現実の出来ている出来ていないは、さておき、こうなりたい、こうなったらいいなの願望そのものを子どものように思い描き、頭の中で準備をしておくことがイメージ力練習の糧になるということです。

できもしていない事柄を、なぜ事前に用意することが出来るのでしょうか?
以前の私ならそう思ったかもしれない。それが、思考の檻に好んで入っている状態。

つまりプラス要素に基づいた 自由な 発想、自由な想像力を自分に持ち合わせるために、新しく自分を自分で育て上げる概念が存在する。

「自分を育てる」

言葉は簡単でも、過去にそんな教育を受けた人は、ほぼいない。


過去から作られてきた今あるマイナスの固定概念、 あなたも私も持っている。
多くは、それだからマイナスのロックがかかった不自由な頭の中で、窮屈に生きている。
産まれてきたときは、自由というプラスなアンテナを敏感に張り巡らしていたのに、いつの間にかそのアンテナを折りたたむよう、仕向けられていった。

しかし、個性として守られていったアンテナもある。

もしかして、折りたたむ必要がなかったアンテナもあるかもしれない。

自分を育てると、

そのアンテナの存在に気づく。


いまは、1つずつアンテナを伸ばして増やしていき、具体的な想像力を得ていく。

自由な発想をしてる人を見ていると、面白くてそのままの考えを聞いていたい、そのままを見ていたくなる、応援したくなる、一緒にいたくなる。

自分もそうなれるんだよ、そして誰でも。
ホント?
どうやって!?

子どもだった頃の自分は遊びに、没頭していた記憶がある。なぜ没頭できた?


これがイメージを広げるための近道で、必要な感覚の学びかたヒント。これに出会えたら、ラッキーで、ありがたいよ~!

今年も、ぬか漬けを楽しめる季節がきた

2016年5月23日月曜日

招待状

娘の小学校の授業でパソコンを扱う授業があります。 キーボードで文字を入力して 文書を入れて プリントアウトし、家に持ち帰ってきます。 去年まではイラスト選んでカレンダーを仕上げてましたが、今年は 文章の長さも長くなり、この度は 近々行われる運動会の招待状が届き、オリジナルメッセージが入力されていました。

この内容を、打ちこんだいきさつは、我が家の人間にしか、
さぞわからない事でしょう。
「肉眼で見てね。」とは、ビデオカメラ越しではなくて、そのままをしっかり見てほしい。


親子競技は、私と一緒に走るから、こけないかどうか、心配!?
運動会後の、我が家の恒例行事、ビデオ上映会は、いつも家族が揃って見ます。

この文章の中に、我が家の文化が入っているんだな、と思います。


少しずつ親の手を離れ、自分の意見や考えを教えてくれる子どもたちは、たくましく生きています。

その力に、添えるよう親は親の役割があります。


自分が親の背中を見てきたように、今度は見られる番になりました。
どう見られているのかを心配するより、自分がどう生きたいかを見てもらいながら、未来の肥やしになればいいねと、お父ちゃんと話すのです。

肉眼で、しっかり見て、楽しもうね。


2016年5月22日日曜日

自分の心の鏡

心の鏡は、物理的には存在しない。
今、目の前で起きている事を、心の鏡という。
それが自分にとって、困った事や、悩みになる事なら同じ事が自分自身に内在している事を指す。
つまり、自分の心を目の前の状況があらわしてくれていて、それに自分がいつ気づけるかが、今後の人生を豊かにしてゆく転機のチャンスと言える。
多くは、感情に流されてそれに気づけず同じ失敗を何度も繰り返す。

しかし、ふと考えて「こうした方がいいのか?」と思い、

めんどくさそうだ

そんな事今までやった事ない、

そう思える時こそ、新しい提案が自分に来ている。やってみる価値がある。

変えられるのは

「自分と未来」

 この言葉を聞いた時に 「未来を感じる 」挑戦に、わくわくした感情が湧き上がる。

そうだ、まだ起こってないことだから、自分の働き方次第ってことだ。

そうやって、未来を選ぶ価値に気づきはじめている自分の変容ぶりは、40代の日々を過ごしながら 手応えを感じる。

こんなに可能性を秘めた時間がやってくるとは思わなかった。
こんなに自分を信じて進んでいけるストレスのなさを、経験できるとは思わなかった。

どうして思わなかったのかというと、それは簡単なこと。

ただ、鏡の存在を知らなかった・・・それだけだった。


知ってこそ、今までしたことのない挑戦をしようと思う。些細なことにも興味がわく。
自分からしようと思うのだから、やらされている感はない。

これを繰り返していくことが、楽しく歳をとるコツだと思う。

ある患者様曰く、

「女性はね〜、毎年、歳を2つずつ捨てていくんだよ。誕生日に一つと、お正月に一つ。」
(ある程度、歳をとってしまえばこそ、嬉しい会話!?若者には向かず)

そんな話題が出ながら、笑顔と勢いを増す40代・・・、つづく
今年も活躍、ゴキブリ対策!









2016年5月19日木曜日

ありがとう

日本語の素晴らしい表現の一つ「ありがとう」は漢字で書くと「有難う」と書きます。
あるが難しいという意味からまれにあるとか、奇跡という意味を表します 。

このありがとう の反対語として「当たり前」という言葉が存在することを知りました 。
そうゆう 位置づけ なのか~と考えれば納得です。

一人ではできないことを誰かに助けてもらったり、体調崩して風邪ひいて苦しんでいたとき元気だったときを思い出して、 ありがたかったなあ~と思うこと、今までに何度もあります。
 反対に、「当たり前」なことは、探したらいくらでもあります。

普段私たちが、日常当たり前なこと。

目が見える、耳がきこえる、あたりまえ。
体が動く、朝目覚める、あたりまえ。
食事ができる、息ができる、これまたあたりまえ。
生まれてきたこと、これも当たり前?

だけど、この当たり前が突然失われる時、
当たり前が当たり前じゃなくなった時、そのありがたさに気がつくことも、多いのではないでしょうか?

ありがとうと当たり前は、反対語で背中合わせ。
「あって当たり前から、有り難みを見いだす」ことは、すなわち「感謝力を育てる」ということ。

感謝しようとするのと、感謝が自然に湧いてくるのとは、人間スキルが、全く違う。

育てたい感覚は、努めて 育てないと育たない。



残り野菜から、あらたな葉っぱが出た!



2016年5月15日日曜日

味噌あけたよ〜

昨年に、味噌女子会をしました折の、我が家の熟成中の味噌は、そろそろ開けても良い頃ですが、「今年も秋ごろに開けようか・・・」と、思っていました。

しかし、予定外な・・・。

蓋を何かに引っ掛けて、「ぱかっ」と、開けてしまったもんですから、

今年はもう開けることにしました。
蓋が開いたら雑菌が入るのでカビもきやすくなります。(慌てて、蓋を戻すより、いさぎよく。)

開けたら、容器に移し変えて、冷蔵庫で眠ってもらいましょう。
表面に少しカビがあったので、一層のけたところ。

色も薄く、若い味噌です。
我が家の、冷蔵庫野菜室は久しぶりに味噌の待機場所になりました。
容器の中で、まだまだ熟成していきます。




現役の味噌と比べると、違いがわかる。




味噌の消費も早くなり、貴重な調味料の一つ、もし物流が止まることがあっても、とりあえずお米と味噌があれば何とかなるという話もあるくらいです。

容器を4〜5個並べて、内側を焼酎で拭き、味噌をすくってはゴムベラでペタペタしているところを、横目に食後の仕上げの果物を食べていた娘、興味津々。

「写真とってくれる?」と頼んだら、ほとんど私の手でした。




多量の味噌をすくい上げようとしている、浮き出た血管と骨も!?、「お母さんの様子・・・」という事で。

こうやって、娘もいつかは味噌づくりをする時がやってくるのでしょう。

ようし、また美味しいもん作るよ!









2016年5月14日土曜日

釣った魚より魚の釣り方を

人に一番親切なのは,例えて
釣った魚を 与えるより,
その釣り方を教えることだということを、実感します。


目の前に魅力的なものがやってきたら、その人にとってとてもラッキーなこと。

同じものがまた欲しいとなったら、その時はどうすればいいのか?

次のチャンスはいつ来るのかわからない。しかし、その方法さえ知っていれば、自分にも出来る。

 それなら、その場限り、その場しのぎの 獲物 に頼り切るより、自分で得る方法を知り 自分の好きなタイミングで 自由自在に操ることができるほうがずっと快適。

ある時は、釣った魚を与えられる側になり、またある時は、釣り方を教えてもらい、手に入れた技もあった。
そのどちらも、嬉しいことだったけれど、釣り方を教えてもらったほうが、自分がマスターした上に、他人に伝授さえ出来る。


 こうして、人がほしい技は数多くあり、それぞれに教えられる立場の人々もいる。

私が伝授できる技のひとつ、歯みがきにまつわるいろいろ。

来月は、歯の衛生週間があり、その啓蒙活動の準備に入りました。

今年は、仕上げ磨きをテーマに、職場では地元テレビ局の取材や、個人的には保育園の園児へのおはなし、子育て親子向けにおはなし、などを受けることになりました。
短い時間ですから、限られた内容ですが私が伝えたいことは、歯みがきなどのノウハウの先にある目的です。

何のために、行動するのか?
子どもの歯を守るために、大人ができること。
子どもを持つ全ての保護者に考えてもらいたいテーマです。

十分に仕込みを入れます!


唐辛子の魔よけ



2016年5月8日日曜日

またお逢いしましょう

今日の自分は、どんな出逢いがあり、何を経験するのか?

「人の縁には、必ず意味がある。」ようやくその意味もわかる気がします。


来月、 体の 要となる 、腰の大きな手術を受けられる患者様。

手術を受けた後は しばらくリハビリをし、 今現在とは うってかわっての生活環境になることを覚悟されながら、 このたび一旦 のお別れ、 「また逢いましょう」という言葉をくださいました 。

今までご自身が築き上げてきたもの 、体の心配や不安、 家族のこと 、色々な考えや、想いを教えてくださいました。 私はただ 聞くことしかできませんが、 やはり 人生の先輩から習うべきことは数多くありました 。
その中で見えたものが人生を歩んでいく上で、やはり 人が出逢うご縁から、生きていくための視点を定め持って腰を据える、 ことを教えていただいた気がします。

今の私には、まだ培われていないからこそ、なのだと思います。


経験を積み、歳をとればそれなりになると言われますが、私は昔から他人の様子や、少し先を進ん
でいる人から、学習するクセみたいなのがあります。

先に答えを聞いといて、自分でも経験して、これか!と繰り返します。今までは、自分に関わる事の範疇でしたが、40代になると、それが縦、横、斜めと繋がっていく感覚が芽生え、ついにはZ軸が現れるのです。
このZ軸は流石に、意識をすればこそ見えてくるもので、そこに到達したくて色々な勉強をしてる人が世の中に増えてきています。

これが、「意識の時代が来る」と、いう事なのでしょう。

意識を高める勉強をするには、正しい判断を自分に持てている事が大事で、これがなくて失敗してしまうケースも多くあります。
このブログ(2015,6,20効果的な時間)にも書いた通り、写真のクマちゃんは鉢巻して張り切ってますが、実はテキストは逆さまで、学べていないのです。
そして、時間が経てば忘れるという事は、無意識に「その学びを取り入れない」という否定性を持って自分の中で終結させています。

その時は「まさに、そうだ!」と、思っても、その会場を出てしまえば、「良い話聞いた感」に満足し、具体的な記憶は何処へやら。

あらゆる現象は、私に学びを与えます。
私は人からが、一番習いやすいので意味がある時間を楽しみたいです。


収穫中、大きなハチが来たので即退散。