そして、つかんでいくペースも、それぞれにある。覚えたいこと、出来るようになりたい事に、向かって。
一通り、流れを覚えたら見た目は、そつなくこなしていける。が、ここからが本質に迫っていけるかどうかの分かれ道だ。
同じことを同じように繰り返すだけよりも、さすがと言えるほど繰り返す度に、本物に近づく働きをしていきたい。
なぜならば、人は皆、本質を求めているから。
新しい形をやっと1つ覚えた。
順番や形が決まっている。
しかし、まねごと止まりで終わらせたくない。
これから更に細部にわたって、観察と落とし込みを繰り返し、練り上げて本物に近づいてゆきたい。なぜ、そうしたいのかというと、自分もその境地を知りたいから。
一年目、三年目、五年目…その時,
自分がどんな状態だったかは、うる覚えだが、「あー、こういう事で悩んでいた頃があったな」と、思うのは、後からやってくるその状態で今、悩んでいる人を見た時。
人それぞれの練習段階は、さまざま。
自分が今どの辺りで困っているのか、どこが分からずにいるのかは、その経験を過ぎたものならわかる。
だったら、今私にできることは、自分の訓練として、一つの方法に対して数多くの例えの話、裏打ちとなる話をたくさん用意しておく必要がある。
それは、聞き手が千差万別なだけに、過去に私を指導してくださった先生方がいかに生徒が理解に近づけるよう、あらゆる言葉を用意してくださり、「それはどういうことか?」と頭をぐるぐる悩ませ、答えに、ひとつひとつ近づいていく手助けとなるから。
自分に自然に馴染むまで、あらゆる方向から、刺激する。
それが、何においても共通する、ものにするまでのプロセス。
焼いて、火が通るまで蒸し焼き。 |
エンゲル係数に合わせて分量より二倍大、切り干し大根のおやき 中国語で、ガンルオポシュイジェンピン |
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