2016年3月31日木曜日

ギャップ

人は第一印象でほぼ決まるから、第一印象は大事ですよ〜という話をよく聞く。

私の場合は、見た目と、話した感じのギャップが、とてもあるらしく、そこで好感を持ってもらい、たいていか大笑いされながら「楽しいですね」といわれる。

第一印象とは、まだ会話をする前に遠くから見た印象や、お互い認識して会った瞬間の印象、会話をしてみての印象とあるだろう。

何処かが、強く印象に残れば、それが第一印象となるようだ。

万人ではなくとも、私のギャップにはまってくださる人は、その人自身も実は大変ユニークで、魅力的な人なのだ。
話のテンポも、早い。
どうかすると、お腹を抱えて笑ったまま、固まることさえある。

そんなとき、物凄い楽しいエネルギーが、出ているような気がする。


そんな出逢いがある事にも、本当に感謝して、

今日という日がまた楽しい日だったと、心の貯金がたまるような感じがする。


人は、褒められたり、楽しんでもらえたと思うと、うれしいものです。


季節は春を迎え、あちこちで新しい芽が、そのタイミングを待っています。
安心して理解しあえる輪が広がっていけば、みんな楽しめる、新鮮な芽吹きの力のように。







2016年3月30日水曜日

素直な気持ち

ありがとう・ 嬉しい・ 素敵だね・ 綺麗だね など、 自分の心から湧き出てくる素直な感情は、そのまま表現して 当たり前に受け入れる 、それが「自然体 」な、感覚。
そんな素直な気持ちを現した言葉が、一番綺麗だと、教えてくださったのは、出逢えた患者様からです。
「お世辞者なくて、本当にありがとう」と、ゆっくりと優しく、心のこもったお言葉に、感動しました。

お世辞に気を回すよりも、等身大、そのままをお互いで表現したい。
そこには、年令や肩書き、職業も関係ない。
そのままの人の、 心と心が交流する。

昔、子どもの頃から、
こんな喜びを 求めていたと思う。

他人の様子をうかがって行動する。 「それが、よし」という風潮にも疑問があった。
その中でしか生きていけないと、考える人もいるかもしれない。
何も知らなかった私達は、何が正しい方向で進めるのか、考える時代が来ている。
知らないままでは、遅れたままになり、結局損をしてしまわぬように、必要なことは吸収・消化・原動力へつなげていきたい。


好きなものは好きだし、 いい事はいい、建設的立場でいやなものはいやだ と、はっきり自分に指針が持てたとき、人は、はじめて自分らしさの花を咲かせようと、輝きだす。


そして患者様の声を、次世代へつないでいく必要も、私にはある。

 「もっと早くに 、自分の管理にきづいて歯医者さんに通うことは、大事よね。

若い頃仕事をしている時は仕事ばかりで自分の体に ちっとも気を使わなかった 。

だけど歯がなくなってしまってからではなんにもならない。」


と、過去を悔やまれながらも、今あるご自分と、向き合われ、今まで以上の、お口の中の快適さに満足され、歯科予防に来院されて一年を迎えられました。

仕事や、周りの情報、お金などに、振り回される世の中で、ふと我にかえる時、見たくないものとして処理するよりは、一歩前進する勇気を出した人が、
幸せに一歩近づくような気がします。

2016年3月25日金曜日

短時間で効率的にリフレッシュ

自分のために使う時間は 1日のうちどれぐらいあるだろうか? それが自分のために 積み上げる成果はあるだろうか?
休息とは別に、 これから生活するなかで不調が起きると非常に困る。まず、家庭内の自分が受け持っている仕事が全くストップする。 核家族にとってはかなりのリスク。
だから、こういった不調から縁遠くするために、短時間でも、体をいたわる時間を 作るようにしている。
体力的に平気だったこと も、40代に突入すると、不意に風邪をひいてしまったり治りが遅かったり 今までにない 病気が発症したりすることもよく聞く話である。不調に気づき、内科的な薬を飲み始める 時期でもあるのではないか?
だから体に不調が起こったときはその生活スタイルを見直すきっかけとなる。病気を引き起こすにはそれなりの原因がある。
「 今 、不調がないから 大丈夫」だとしても 、それでいいのだろうか?
私たちはいつも同じ体調で生活することはない。精神面に対してもおなじことが言える。


ここ何年と風邪を引くことがなくなった 。自分の感覚からすると、強くなったというよりは自分のことを こまやかに気づかうようになったという方が 適切だと思う。 裏を返せば 自分をないがしろに扱っていたところがあったため、  無理を理解できずに働いていたことも多々あった 。これは私の自分自身に対する反省であり 自分自身をよく知らなかったことでもある 。
精神的にも体力的にも自分の事が分からなくて悩んでいる人は 数多い 。知識教育に振り回され、何を本質に置くべきかをはぐらかされる。
何においても その原因をつかむことができれば 解決策も見つかるはずだ。
 いたる所の、見えない落とし穴に はまらぬよう 自分を認識した日々を送っていきたい。


自分を本当に心配できるのはやはり、自分だ。
と言うことで!?
体の臓器に働きかける気功を、マスター中。






2016年3月22日火曜日

感謝、出動!

娘がピンチのとき、およそその助け人は、わが家のおとうちゃん。
稀に見る 我が家の大事件には、家族の協力を得て解決する事が、お決まりです。この度 は、 その日にかぎって 学校へ持っていくカバンを入れ替え 家の鍵を移し替える事のを忘れていた娘、注意を促し忘れた私。家に帰って来たのに家に入れない状態になってしまった娘。外は雨、お昼ご飯は、家の中。
娘が気づいたのは、もうすぐ家が見え始める頃、そろそろ鍵の準備しなくちゃ~と、その時気づいてしまった。

「がーん…,ゆっくり帰ろ。」

ゆっくり帰ったって、鍵を持った家族が帰るまで時間はたっぷりありすぎる。

しょうがないから、ひたすら待ってみる。
一時間たっても二時間たっても、変わらない。
変わるとすれば、目の前を通って行く、大人たち。
その中に、救いの手がありました。

近所の奥様が、察して私の職場へ電話をかけてきてくださいました。
「娘さん、家の前でずっと待っとるよ、鍵がないんと違うかねぇ。」

(あうつ、イタタタ、その通り!)
「おしらせ、ありがとうございます!」

本当に、ありがたいことでした。

慌てて、このピンチをお父ちゃんに繋ぎ、三時間後に無事娘は、帰ってきたお父ちゃんに泣いて抱きつき、「よう、待っとったね」と助けられました。

やっと家の中に入れ、体をあたためて、用意してあったお弁当にありつけたのでした。
核家族で、子どもと暮らすのは心配する事がたくさんあります、近所の人に見守ってもらい、今回のように助けられ、本当に感謝でした。

こうして私たちは、今までにもあらゆる人の助けをかりて子育てを過ごしてきました。
その度に、人を信じて感謝することを学んだと思います。

偶然はない、全ては必然である。という言葉の、威力を感じます。
と同時に、親として学習。お互いに成長するのでした。


2016年3月15日火曜日

インナーマッスル

ここ数年、インナーマッスル(体幹)の重要性を、身をもって感じる。

それは、歩き方1つとっても、ひとそれぞれ歩く姿勢など癖があるわけで、長年培われた癖があったとしても、鍛えるところを鍛えれば、キレイな歩き方や姿勢も身につく。それがインナーマッスルの効果だ。

前屈みや猫背になったり、歩くときの左右バランスが違ったり、かかとをする癖があったり、などあらゆる癖をもって生活していた。
しかし、ここ数年インナーマッスルという言葉を聞くようになり、体の中心軸をつくる体幹を鍛える事を、意識するようになりなんだか今までと様子が変わった気がする。その源はやはり、太極拳がきっかけなわけだが、それもそのはず準備体操にとても時間をかけて下さる先生なので、毎回自分の体をいたわるように、その時間を過ごすようになった。そのなかでも、「四股を踏む 」トレーニングはそれなりにきつい。けれど その後に自分の体に残る 副産物は 私の宝物だ。
つまり、空気椅子に座ったまま、1分くらいキープするわけだが、最初は習う仲間とともに、足をプルプルさせながらも、ひたすら時間を過ぎるのを待つばかりだったのが、要領を得て筋力がつくと、自分の体と対話している時間のように感じる。

最近では、「姿勢がいいね」と、言われる効果も実感すると、「これは続けよう」と、意欲が湧く。
 さらにいいことには 同じ体制が続く状態で仕事をし続ける ため 同業者では腰を痛めたり 無理な姿勢 に耐えられず 体のあちこちを痛める人も多い 。インナーマッスルを手に入れれば ある程度の体制でも保っていられる筋肉があるため 、その疲労度が違う 。
以前の私なら 仕事をした後は 、残りの体力も弱々しく、 気持ちだけで働いているような気がしていた。 しかし 自分の体のために 続ける ということは 生活のあらゆる面にも 仕事においても、メリットがある。


今日明日で筋肉はやってこないけど、週一回でも何か運動をする時間をとってみることは、40代には後の効果が楽しみとなる。
今の私の体は、柔らかい人には劣るが、それでも今まで生きてきて一番柔軟性があり、猫背だった姿勢もかなり良くなった。
自分は体が硬いものだと思っていたから、まさかこんな奇跡的な事が起こるとは思ってなかった。そしてこれからも、続けて、いつか私の母のように、真横に開脚、お腹べったり床につく前屈を目指したい。


豪快、ブリカマ弁当(お父ちゃん作)


2016年3月10日木曜日

出来上がるまでの、プロセスは…

人によって要領のつかみかたは異なる。
そして、つかんでいくペースも、それぞれにある。覚えたいこと、出来るようになりたい事に、向かって。
一通り、流れを覚えたら見た目は、そつなくこなしていける。が、ここからが本質に迫っていけるかどうかの分かれ道だ。
同じことを同じように繰り返すだけよりも、さすがと言えるほど繰り返す度に、本物に近づく働きをしていきたい。

なぜならば、人は皆、本質を求めているから。

新しい形をやっと1つ覚えた。
順番や形が決まっている。

しかし、まねごと止まりで終わらせたくない。
これから更に細部にわたって、観察と落とし込みを繰り返し、練り上げて本物に近づいてゆきたい。なぜ、そうしたいのかというと、自分もその境地を知りたいから。
一年目、三年目、五年目…その時,
自分がどんな状態だったかは、うる覚えだが、「あー、こういう事で悩んでいた頃があったな」と、思うのは、後からやってくるその状態で今、悩んでいる人を見た時。


人それぞれの練習段階は、さまざま。

自分が今どの辺りで困っているのか、どこが分からずにいるのかは、その経験を過ぎたものならわかる。


だったら、今私にできることは、自分の訓練として、一つの方法に対して数多くの例えの話、裏打ちとなる話をたくさん用意しておく必要がある。

それは、聞き手が千差万別なだけに、過去に私を指導してくださった先生方がいかに生徒が理解に近づけるよう、あらゆる言葉を用意してくださり、「それはどういうことか?」と頭をぐるぐる悩ませ、答えに、ひとつひとつ近づいていく手助けとなるから。

「知っている」だけでは使いこなせない。

自分に自然に馴染むまで、あらゆる方向から、刺激する。


それが、何においても共通する、ものにするまでのプロセス。


小麦粉とお湯で練る
切り干し大根、ねぎ、にんじん
焼いて、火が通るまで蒸し焼き。
エンゲル係数に合わせて分量より二倍大、切り干し大根のおやき
中国語で、ガンルオポシュイジェンピン







2016年3月3日木曜日

憧れた天才

むかしむかしの学生時代、テスト期間に悩まされ、なんでこんなに面白くないのかと思った頃、とうとう悩んだ末、
「自分も天才になればこんな悩みは無いんだろうか?」と、安易に考えたことがあり、
過去の有名人は、何を学んだのだろうと、賢者が残した言葉に触れたことがあった。

トーマス・エジソンだった。

「天才とは、1%のひらめきと、99%の努力の結果である」

ほー、99%は、努力するのか・・・、ひらめき??なに、ひらめくんだろ・・・。


まあ、よくわからんけど覚えとこっと。という訳で、本当の意味もわからず、この言葉を忘れまいと心のなかでブツブツと唱え覚えたものでした。

それから約20年、

賢者は歴史に学び、愚者は経験に学ぶ。

という言葉に出逢う。

石の上にも三年、若いときの苦労は買ってでもせよと、言われながら経験を積んで失敗を繰返し、やっとわったことは、経験を積む前の準備として正しく用意しておくべき知識、また頭の正しい整理の仕方がわかって経験が乗れば、その経験も無駄なく、今よりも早く活かされているのではないかという事。
準備を知らなかったために、遠回りになったり、準備を間違ったまま経験を積み続け、自分は果たしてこれででいいのかどうか、よく分からない結末になってしまうこともある。

そんな事を教えてくれる教育システムは、今はない。
なんとなく正しいことに気づいている大人は、少なからずいる。

自分に確かな指針があれば「これでいく!」という、道が見える。
地図を持たない航海は、無いように私たち個人の航海地図を手に入れる教育システムを構築したい。


これから育ってくる子どもたちのために、伝え教えていくなら、幼少期から始められる。もちろん、今の大人も子どもと一緒に学ぶ。
自分たちが経験した遠回りを、同じように「次の子たちも同じ経験をすればわかる」「今度は君たちの番」と言うのでは、あまりに言葉が足りなく、無責任であるから。

ものに溢れ、ある程度の生活水準が守られ、誰もが豊かな生活を過ごせるこの時代に忘れてはいけないもの、受け継がれなくてはいけないもの、今わかっている根底にすえるべきものがある。
経験する前に学べるものは学んでおくが賢明、人生の先輩方々に教えを頂いては、あらゆる事を観察し、何が正しいかと、その因果関係を探り、答えを考え出す。

1%の小さなひらめきに、反応する感覚。

直感的に「いい」と思ったことは、そのまま思考を流さずにとどめておく。または、時間が経つと、つい忘れてしまうので、メモに取るなど、
そんな些細なことさえ、重要なポイントになる。

「あの時、こんなことしてたよな…」と誰かから学んだ記憶は、ふとした拍子に、ひらめきとしてやってくる。

1%のひらめきとして。



2016年3月1日火曜日

見えない何かに縛られている

私たちの思考が自由に発想する事を望むなら、「過去の学び」という、その見えない縛りを、解かなくては新しいステップに上がれない。

私たちは、何を過去に学んできているのか?

人間の思考は、その場当たりに出でくる感情が左右するのではなく、そこに出てくる感情になるように、普段から積み上げてきているものがある。

つまり、感情は、その人の生きてきた軌跡を現す。

今の自分の喜怒哀楽、どんなシチュエーションで出てくるだろう。


思考を解き放つとは、
今「いい」と思ったことに、すぐ取り掛かることができる、
いい方を選べる、
チャンスを迷わずつかめる
頭のスイッチが入っている
その選択に間違いなく、精神的充足感がある。
どれかひとつあれば良いのではなく、これはすべてセットになっている。

きっかけから上手く乗れる人が数パーセント、
他は、そのうち続かなくなる人、最初から拒否する人は、比率からいくと圧倒的大差がある。

私たちは、本来いいと思ったことにすぐ飛び込める状態、それが自然で自由な自分が表現出来ることを、心の底は望んでいる。
この「自然な自由」を、求めるために私達は、生まれてきた。
誰もが、一生という時間を与えられている。

何がそうさせないのか?
何が、ブレーキになるのか?
そんなことを考えれば、たちまち不安や寂しさにかられ、どうしていいかわからない。

答えがでないからといって、気を紛らそうと、
テレビを見たり、娯楽を楽しんでも原因は解決しないまま保留されている。

立ち向かうしか、方法は無さそうだと気づいたとき、

答えは、自分が知っている。
心の底の本当の自分を探り当て、不自然で不自由な、積み上げられた何かを知る。
はじまりはそこからで、今もなお続いて行く。

当初、分厚い壁か立ちはだかるのかと、思いきや、立ち向かえぱ、簡単な事の繰返しだった。
「これくらいなら、続けられる」と感じる程度が、ちょうど良かった。

思考を柔軟にする方が、ストレスがないはずだ。
発想は、自由に。かぼちゃと人参の甘みがドッキング。