2016年1月31日日曜日

ギリギリの手応え

技術職には、あらゆる種類がある。
家電店・電気工事業という技術屋の家に生まれ、職人魂の住む家に住んでいた私。

ふつうの家の、玄関というものに憧れていた。
電話に出ようならば、とりあえず自分は知らない人でも「いつもお世話になっています」と、しゃべるが基本。


特殊な道具類に囲まれ、派手な音を立てて作業する父。
溶接の光を見るなと言われていたけど独特な音と、あの臭い、遠くからその様子を横目に幼少の頃遊んでいた記憶もある。
「手に職を持つ」事は、当たり前に考えていて,
今の仕事への憧れは、まさにこの幼少期にした「歯医者さんごっこ」が始まりだった。

母親の歯科治療に付き添い、診療室をウロウロさせてくれた環境は、私にとってラッキーだった。机の上の器具を扱いながら、歯科医の補助をしていた女性は私にニコッと愛想笑いをしてくれた。

「その机の上に置いてあるものが…見たい!」その時の私の強い願望はこうだった。

背丈が小さいから、机の上にある物が何なのか見られなかった。
そして、「自分は大きくなったら、それらの器具を触ることが出来る仕事につきたい。」と、思った。

以降、しばらくの間なぜか記憶が飛び、高校3年、自分の進む道が決められず迷っていた頃、当時の担任だった、わりとご高齢の数学の女性教師が、私を職員室に呼んでこう話した。

「私の姪で・・・、歯科衛生士をやってる人がいるんだけどね…」
                     (ピンときた瞬間だった。)
幼少の記憶が、一気に立ち上がり、もやもやしていた視界が開けた。
「あなたに、どうかと思って…」と、言われた時には、即「先生、私それに決めます。」

何で、今までそんなこと忘れてたんだろう?不思議だけど、
この時、しびれを切らした神様がいたとしたら、働きかけたに違いない。と、思うくらい、今となってはハラハラするタイミングの決意だった。

心配した母に、
「戦争ほど勉強しないといけないくらいの専門学校みたいだが、大丈夫か?」
と、何度も聞き返されながら、その後、人生において大変お世話になるであろう県立の専門学校に晴れて入学した。
(「戦争」って…お母さん!?)


それから、幾度も年数を重ねブランクもありつつ、今の職場は今までで一番長い勤務期間となる5年目を迎えた。


次第に自分色がはっきりとあらわれ、技術を施す対象の原点を考える。
「この歯肉は、今日のこの人にとって許容しうる範囲なのか、超えているのか?」
(この疑問は、歯科衛生士でないとピンときにくいか?)

職業柄よく見る歯肉の状態は、血液の色、体の締まり具合、免疫力の状態いわゆる、体調が現れる。
検査をしたわけではないけれど、目の前で体が疲れたとサインを出しているようなら、聞いてみる。
「体が、つかれたり、寝不足してませんか?」

ほとんどの、患者様は、認識される。中には、「なぜわかるのか?」と、聞かれる人もある。

事実を、そのまま伝える。
伝えた方も聞いた方も、それぞれ事実を知ったからには、責任が生じる。
そして、今自分に対応出来る技術を投入し、ギリギリの感覚を研ぎ澄ます。

その間、繊細な患者様だからこそ、伝わるものがあるらしく、感想をいただくと、気が更に引き締まる。


誰もが自分の体を所有して 、管理をしている。
 今どんな状態なのか?
 元気なのか?
 疲れてるのか?

疲れてるって分かったら、体を休める方向に重点を置く、 元気なら 活動すればいい。


自分の状態は 本当は自分が一番わかっているはずであるから。

そんな個人の生活の傍らに、私の技術が役に立ち、時間の共有が出来れば幸せだ。
人と人の仕事は、本当に魅力的だ。

2016年1月27日水曜日

GO!女子、味噌会報告

女子会並の味噌作り、無事終了しました。
今日一日で私にとってあらゆる世代と交流のあった日。そのどの人たちも共通していたことが、
「楽しみをもって、目の前のことをしている」という事でした。

その中でも、発見の多かった味噌作り。今後もぜひ続けたいものです。


本日は12樽分の材料が届きました。参加者は大豆煮を自宅で済ませて、参加です。
チャレンジャー「ひよこ豆」編、どんな仕上がりか、楽しみの一品。 

 大豆を潰すとき、マッシャーでこの量は、キツイな・・・と、昨年から温めた大豆を厚手の袋に入れて、足で踏んでマス。大豆が温かいうちなので、足がぽかぽか、更にダンボールに入っちゃえばもし袋が破れても、慌てすに対処できます。子どもとするなら、これがおすすめ、大人が箱に入って作業することはそうない・・・。なんか、童心に帰る感じ?
 潰した大豆に、塩きり麹を混ぜて、ゆで汁で水分調整。

消毒した容器に入れて、ハイできあがり。熟成を数ヶ月待ちましょう。


参加者それぞれ、聞きたいこと、知りたいことは違う。今日、私の目標は、楽しい時間に仕上げること。
個人が安心して進められるように、一律の説明を繰り返すのみならず、個人の歩幅を確かめるように、注意をはらう。

人と人は、目には見えないけど、同じ空間で過ごせば、その雰囲気が共有される。

「星の王子さま」に出てきた有名な、あの言葉。
・・・大切なものは目に見えない・・・

それは、心で感じ取り、心でキャッチする。

参加者であり、いろいろなお手伝いまでご協力いただいた皆さん本当に、ありがとうございました。

想像力が、活躍するとき

何かの作業をしようとするとき その方法が書いてあったとしたら その説明を読んで 「ということは…」 という思考が働くだろうか?
 例えば 料理。
必要材料と、その量、作り方を理解する、とは、どういう事か?
材料が あるかな?
 調理道具はあるかな ?
いつ作ろうかな?
 いつ食べたいのかな?
など、 それぞれに段取りがいる。

ここで 必要な能力は 想像力である

「 ということは? 」 という疑問は 何においても 準備するということにつながる 「それがそうだったら その次どういうことになるのか ?」
それって 自分はどういう働き方をしたらいいのか?
何が足りなくて 何が足りているのか?

私達は 日常 、物事をあまり深く考えなくて良い生活に、なってしまっている。

想像力を 欠くと、 事が起こってしまってからあわてがちである。
何事にも、事前準備が物を言う。ただし、これはあれこれと心配をするという意味ではない。
想像のレパートリーは、柔軟に用意されるべきである。
もうひとつ、想像を高めるために、目から入る情報を伴わせれば、理解も早くなる。文字と、映像そこに、意欲が入ればまず、スタートラインに立っている。

新しいチャレンジに、飛び込むとき、意欲満タンで踏み込んで欲しい。

飛び込まれた方は、人それぞれに違う、疑問点・不安箇所という、絡まった糸を、ほどくようにあれこれと惜しみなく説明を加えてゆけばよい。
聞き返し、確認・質問何でもござれで。

一番最初のこの段階を丁寧にすれば、後は本人が自分で考えだす。

なんてことない、「ということは」を頭の中で繰り返していくこと。
これが 自然な 思考の 誘導につながっていく。

すると 身の回りのこと 何においても「ということは?」が 意識にのぼってくるから 、次の展開に想像が働く 。「考える」とは技術である 。この技術を磨く事が、今の私の現在進行中トレーニングである。

この「ということは?」を、意識するようになって、目の前の仕事の処理が早くなった。

一部始終と、 言うわけではないが 目の前に来たやるべきことの処理の仕方がとてもスムーズで早くなった

このことに気づく前は、目の前の思考の準備がスタートラインに立っていなかったことで 、 もたついて事がうまく運び込まないこともあった、 スムーズなスピード感に欠けていたのだ。
考え方の癖付けが、技術アップへ、つながる。

中学家庭科の課題:みかんの皮をむいて中身を取り除き、皮のみで、いかに原型に近づくか・・・?


2016年1月22日金曜日

今という、瞬間をつかむ

準備を重ねて開催された、小学校の学年活動は、無事終了しました。
出来上がりパターンは、3パターン、どれにする?

自分のこだわりの位置を探して、まず縫い付ける

子どもたちにとっては、慣れ親しんでいるおはなしかい開催時、「お決まりのアレ」と言われるほど、定着したかくれんぼ人形。
手に取る機会はほとんどなかったものを、いきなり製作することになり、材料を教室の机に並べる段階で、気になるようでまわりをウロウロ…時間短縮のために、休み時間に作り方を張り出しておくと、勝手に読んで予習してくれている。
興味があるからだ。

「作りたい衝動」に直結するしかけ作りは、準備する方は楽しい。どこから見ても、何を手にとってもいい状態にしておく。材料は、あらゆる刺激をあたえるパーツを、ふんだんに用意しておく。


そして、いざ製作に向かう子どもたちの姿は、本当に真剣で、なおかつ楽しそう。
更に、子どもの発想が柔軟で、力があることを証明する時間でもありました。

大々的にみんなの前に出て作品の発表 はしないものの、こっそりとできた作品を見せて、「工夫しました」、と静かにその自信を見せてくれた子、出来上がった瞬間の、「できたー」の気持ちを作品に向けるまなざしを、そっと見せた瞬間、格好いい!
そんな我が子らの瞬間を、逃さないでいたい。

後半に、この人形を登場させる際、私の心得とする言葉、
「一期一会」を紹介し言葉のプレゼントをしました。
世界には何十億人の人がいる。
その中で、私たちが出会える人はほんの、
ひとにぎり。
たから、そんな「今」を、
大切にしてほしいと。

私たちは過去の記憶にとらわれて 生きていくのではない 。
これから起こりうる 未来を不安とともに 生きるわけでもない。
たった今 、目の前にいる人 との縁を 心で感じて 、その瞬間を 生きるということが 「今を 生きる」 ということ。

それが、連鎖して人生がつくられていく。




2016年1月17日日曜日

目先の 小さな努力

何においても 「できた 」という小さな経験は、大切だ。 それは子どもであっても大人であっても 。
そして、 人それぞれにそのハードルの高さは違う 。違っていて当然だ、 呼吸する速さが人それぞれ違うように...
集団に放り込まれると どうもこの感覚を忘れてしまう。
忘れざるをえないのかもしれない。

娘が小学校一年生の時、 娘にとって情報の多すぎる日々にについていけなかった現実に、追い付こうと焦っていた私は、それが苦しくなりついに
「この子にとって今日という日は、何が必要なのか…?」と、突き詰めて考える瞬間があった。

結果、「今日も、できなかった」という経験よりも、「今日できた」を、積みたい。
と、担任の先生にも、話した。

それからは、私も楽になり、当時の担任の先生のご配慮・手助け頂いた。
娘も、その日に出た宿題に何日かかっても、
「・・・できたら、(学校に)持ってく!」と、言いきった力強いセリフに、頼もしさを感じた。
たから、少々ためた宿題プリントがヨレヨレになっていても、必ず先生に出していたようだ。

「出来た」が積み重なれば、 大きく成長した ことになる。

毎日、 1週間 、1ヶ月 、1年・・・。 少しずつ時を刻んで 自分が成長していく。

その日に小さな「できた」という感覚をもつことは、 小さな成長した自分を「認める」 ということだ 。

自分が 小さな成功を遂げたのに、「 まだまだ、できていない」「 全然できていない」と 、自信がない上に、この思いを強く持つことは、頑張っている自分を否定することになる。
自分で自分の芽を摘みとることになる。
この習慣を続けていけば、いつまでたっても、「成長しない自分像」が大きく膨らみ、新しい一歩に踏み出したくても、踏み出せないまま、自分はできない人間だと、イメージで結論づけてしまう。


小さな努力をし、小さな「できた」という達成感を喜ぶ方が、得をする。

 なぜならば 人それぞれ同じハードルでいる必要は無く、確実にこれで、進んでいっていいんだと確かめることができるから、自信となる。
  他人とくらべる自分 、周りの目がきになる自分、 これは自分の成長にブレーキをかける。
 出来ているのに出来たと思えない自分がいる。

まだまだ先があるのを分かっていて、今日を認める応援を、小さな芽は必要としている。

経験のあるものは、半歩先に進んだり、半歩後ろに回ったりを繰り返して、見守っていく。
そうしながら、自分も経験と学びを繰り返してきたことを、振り返り成長を、認める。


人は、いつでも成長のチャンスがあるから、生きていることが楽しくなるんじゃないかな。




2016年1月13日水曜日

学年活動!

毎年、小学校で学年別に親子活動が行われます。今年はクラス委員というお役目を頂き、この学年活動の企画に参加することになりました。
共に、おはなしかいで活動しているメンバーが、主任となっていたこともあり、おはなしかいで登場するかくれんぼ人形を作る案が急浮上し、実行することになりました。

わらべ歌にのせて登場する様子は、過去ブログ「スピード時代と、一期一会」で紹介している、あれです。
うたう歌は、佐賀のわらべうた「ずくぼんじょ」。つくしの歌です。
だから、このかくれんぼ人形のお名前も子どもたちの中では「ずくぼんじょ」と、呼ぶ方が馴染み良いようです。
子どもたちは一年生の時から「図書の時間」
で慣れ親しんでいますが、実は保護者のなかで知ってる人は、かなり少ないのです。
それは、それは、問い合わせもありました。
「ずくぼんじょを作ろうって何?調べたら、わらべ歌としか出てこなかったけど…?子どもに聞いたら、komiyaさんがやってるよ、としか言わない。さっぱりわからん」とのこと…。
…そりゃそうだよね。

子どもたちだけが、よく知ってる物を親子で作るって、何だか面白い。
これは、子どもたちの立場も考えて、しっかり説明役を引き受けなくては、と意気込んでます。
只今、予備含めて85体分の材料を準備中。
下準備をしてあるので、当日はかがり縫い中心の組み立て作業です。また、いろんなパーツを使って飾り付けも楽しめます。

今は、小学校で作る作品は「製作キット」が、あらゆる教科に用意され、およそ失敗のないように、ありとあらゆる準備や便利なパーツが使われています。?
そんな中、糸と針を使って繋げていけば、形になる。基本パターンは、簡単なので後はあなたの工夫次第!おうちの人と考えましょう。と、高学年の知恵と想像を刺激して、楽しく作品が出来上がればいいなと、思います。

このお人形は、私にとって「一期一会」の精神を思い起こさせてくれます。
「今」という、この時間・瞬間は一生に一度だけの機会と心得て、それに専念するという意味です。人との出会いに手抜きはありません。これから、あらゆる出会いが待っている子どもたちに、そんな思いを伝え、受け継がれていってほしいものです。



当日、小学校は1日参観日、そんな日に一緒にしちゃう学年活動、他学年のお母さんも、知ってる人にとって、気になるこの企画。
どんな作品が、出来上がるかお楽しみに。


てるてる坊主85体、おしくらまんじゅう











2016年1月8日金曜日

振り返ってたしかめる

何かを決意して練習をする。
 練習を繰り返せば、必ずその人の身に付くのは、たしかである 。
できないと思ってへこんでいた時期 があったとしても、練習のやり方 さえ分かれば「 練習中 の自分は いくら 失敗したって うまくいかなくったって、何故か心が平気だ 」 うまくいかなかった理由を納得して分かるからだ。
 それは言葉で表すことができなくても感覚で分かる。
到達した状態を結果として、そこに 自分の視点が向くと、 今できていないことに焦点が当たることがない 。つまり、今が大変だ めんどくさいと思うことに焦点が当たれば、起こした決意から逃げ出したくなる。
自分が出来た状態に視点をむけたならば 自分の思いがかなった時の状態を忘れずに「 練習」 という過程を続けていける。
その状態を保たせる技を、自分なりに磨く。
 うまくいっているかどうかは 自分のたどってきた道を振り返った時に、 その一歩が初めてたしかめられる 。
昨日と今日、同じ 時間でも 練習してきた道ができている。
同じ日は、一日もない。
前は出来なかったことも、今日になって出来る事だってある 。昨日はピンとこなくても 今日は 何か掴んだ感じがする 。そんな気持ちが溢れれば それは自分で一歩を踏みしめた ということになる。 この一歩を踏みしめる感覚、 「達成感を感じとる感覚」だ。

素直に頑張るひとは、周りから見ても応援したくなる。
それは、将来その人の魅力として、輝くことになる。

今日は、
いなり寿司だ。


2016年1月5日火曜日

可愛い若者たちへ

私の周りには、たくさんの若者が働いている。
私が歳を重ねたから、それより年上が少なくなったというのが本当の理由だが。
若者たちは、可愛い。

若い時こそ、人生ちょっと先を進んでいる人から、学ばせてもらえると、ラッキーなことはたくさんある。
知らないことを経験する前に学べるからだ。

「賢者は歴史に学ぶ、愚者は経験に学ぶ。」



独身が働くとは、とてもパワフルな事だ。
体は動くし、 頭も回転する、 おまけに 機転をきかせてうまくいくと、次のやる気もわく。
そこで 見失ってはってはいけないのは自分自身のこと。
ちょっと無理したって、 辛くったって 、我慢すれば 乗り越えられる
我慢した分は、何処かで調整をとってまた、働く。
しかし、そのバランスも崩れると体は、静かにサインを出す。

体に不調サインが出た時、今の私は、東洋医学で使われている「望診法」を参考にする。
素人なので、症例は少なく経験も無いが、せめて分かりやすい、ニキビの出来る位置は、判断がつく。
更に、仕事をするたびに見ている、舌の様子も望診法では、「舌診」とよばれ、体の状態を表している。

このようなことが書かれている本を、我が家で手元に置き、病気が発症する前の段階、いわゆる「未病」をとらえて、対処すると、体の発病サインのメーターを振り切る前に、発見できる。



私もその昔、仕事をしながら体を壊したことがある。
なぜ、メーター振りきって体が苦しくなるまで、いってしまうのか?
とても小さな事の積み重ねが発病する元となっていったことは、いさならながら説明できる。

不摂生な生活ももちろんながら、「自分をいたわる、愛する」という感覚を持っておらず、むしろちょっとぐらい我慢できると、猛スピードで崖に向かって走りさってゆく自分の姿が目に浮かぶ。

極端に言えば、自分が仕事をせずに休んでいたら、それはダメなことをしているという、罪悪感と自分を責める癖をもっていたことが、崖に向かっていく衝動を起こしていたと思う。
結果、無理して自分の体を壊し、長期間休まざるをえなくなった。


「頑張れ、頑張れ!」は、馴染みよいまでに、よくきくセリフ。

しかし、頑張るにはその方向が正しいかを、知っておく必要がある。
理性で、頑張らねば!と、自分を無理やり奮い立たせて、成し遂げることは、後でその反動がやってくる。
ダイエットのリバウンド
テスト期間終了後の遊び
お利口ちゃんを演じすぎた後の、だらけた自分
その他あらゆる場面の、三日坊主


しかし、本音で、いいイメージができて、したい努力を積み重ねるのは、したいんだから嬉しさを伴って出来る。
あわせて、自分を愛する、尊く思う気持ちが、自分に正しい方向を指し示す。

壊れるまで働くのが美徳か?それは今となっては時代が遅れてる。


自分をわかって、自分の面倒は自分で見られる状態なら、他人に迷惑をかけることもない。

「自分を愛する」とは、日本の教育で一番されていないことで、人間にとって人間らしく生きるためのベースとも言える大切な概念。
知らなかった私に、あらたな教育をあたえ、第2の人生がスタートしている。


ところで、大酒のみの若者が、最近シミがあるな〜っていうお悩み。
東洋医学的に、ズバリ「肝臓が疲れ、血行不良が影響している」ようです

肝臓が働く時間は午前1時から午前3時の間、この時間に起きて飲んでたら肝臓は苦しいでしょう。
ついでに、脂分・糖分の過剰とりすぎ注意とな。
昼夜逆転、要注意。年末年始、来年は気をつけようね。


どうぞ、みなさんご自愛ください。




2016年1月3日日曜日

味噌を作る

手作り味噌を作り初めて3年目。

味噌作りをする家族が集まり毎年恒例のイベントとなった。
その昔、実家の母が作っているのを横目に、まともに教わることなく、嫁に出てしまった私。後から興味が湧いて教えてほしいなと思っても、実家は遠く、気軽に聞けない。そんな類いの問題は嫁に出てからいくつもあった。そういう時は、よく知ってそうな人をつかまえては、いろいろと教えてもらった。今でこそ、分からないときはインターネット大図書館に聞けば良いが、当時は人に聞くのが一番早かった。

産後、行きつけの近所の魚屋さんには、
「魚のアラから出汁って、どうやってとるの?」

育児の先輩ママには、
「今日の離乳食に何を食べさせたの?」
「今日の気候で赤ちゃんの我が子に、どんな服を着せているのか?」
など、ありとあらゆることをいろんな人に聞いて、情報を集め、我が子に合う方法を考えた。

その他、日用代用品の知恵から、今晩のおかずまで、本当にわからないことだらけの主婦だった。

あれから10年以上たつと、探し求めてきたからこそ手に入れた主婦の知恵や、お母さん業、いろんな知識を得ては、取り入れ繰り返されるものは習慣となり、出来るようになっていった。


今回の企画、味噌作りのテーマは「受け継がれるもの」

その家庭で、子孫に受け継いで残していきたいものは当たり前にある習慣になっている。

無農薬の麹が手に入るありがたい環境で習い始め、いつか自分たちで要領を覚えたら、味噌作りが未知の人たちへ伝授できる、その人たちもまた独り立ちできるように連鎖が続く。

今年は、習う側から、教える側になった。
日本の気候だから出来る伝統食「味噌」を作る習慣は、日本人が日本に住んでいるから出来ることだと思う。

いつか、中国人の若い女性に、餃子を作る際、日本の調味料でマッチするものは何かある?と聞いたら、
味噌と刺身醤油だと、答えた。
「入れると美味しい」ってことだよね。やっぱり、自慢の調味料だよな・・・。

さあ、1月下旬に無事仕込みができるよう、今から準備する。
今年は、手書きチラシも作って見ました。

2016年1月1日金曜日

少年よ 大志を抱け

クラーク博士がこういいのこした
単純に、「大志を抱く」ってどういう事をあらわすのか?

有名な言葉として、紹介された事はあっても、それが具体的にどういうことかを、想像した事はなかった。そこに、引っかかる事がなかった。
「私にはよくわからんが、偉くなった人には、わかるんだろう」と、まるで無縁の感覚だと思っていた。
それは、
「いい球が自分に投げられてきた!」、それをキャッチしない感覚、認識しないという「たまよけ」をもって、スルーしてきた。

その分私は、出遅れた。

過去の賢者が、短い言葉にエールをこめて、発信し続けている。

それを、いつ誰が受けてもいい。

受けた人は、その後どうなるのかの具体的な説明はそこにない。
しかし、それこそ、あえて言われないから、気付ける感覚を研ぎ澄ませたい。
あえて、説明が無いから、自分からそれを読み取ろうとする感覚を開いたものが、つかめる心境だ。

少年に、言葉を残す大人・・・私達も含まれている。


「それが、その先どうなるのか?」という、自分への質問が、今となっては、とても魅力的で、自動的に頭のくせになりつつあるこの感覚を持てたことは、私の人生にとって大きな影響を与えた。

大きく志を抱く

自分はこうなりたい
こんな憧れを自分に持っている
自分や周りがこうだったら、ストレスなんて感じられないんじゃないのか?
こうなれば、うまく行くんじゃないか?

たった今の時点、どうこうというわけではない。
「できていない」ことを、探すことではない。

未来の自分は「たった今」から、始まっている。
それを創りだしていくのは、すべて自分に委ねられている。
考える方向は、「前向き」か「後ろ向き」かしかない、どちらを選んでいきたいだろう。

少年は、まだ若い。だからこそ可能性を、持っている。
その可能性を伸ばせるように、大人は常に正しいことを勉強し続け、伸びてゆくしかない。

少年より先に、明かりを照らしてゆくために

そして、自分自身の進む道を、踏みしめるために。