2015年12月28日月曜日

後輩を育てる

仕事でうまくいかない時がある。
注意を受けた。
失敗してしまった。
悔しい思いをした。

しかしそこでちょっと考えてみる、どうしてこうなった?

それには理由があるはず、

しかし、理にかなった理由があれば、それには応える必要がある。
事前に準備しておいたり
順番を変えたら解決したり
注意力や、練習量によって補えるものもある。

しかし、それをさておき、相手のせいにしておけば、相手のエゴに焦点が当たり、愚痴となる。
多くの人がこの相手のエゴをしっかり受け取って離そうとしない。それは自分自身にも同質のエゴがあるから、引き合う。自分と同じ種類のエゴを引きあってお互いが離さないない。
気に入らないもの同士は似た者同士という事だ。
これがいわゆるどつぼにはまった、マイナスの泥沼。

できていないと、責め立てる。
出来ていないと、自分を責める。

その逆もある、プラス同士が引きあうと、必ず前向きで、楽しい展開が待っている。

理とエゴを見分けて考える、「選択・処理の目」をもち、理の部分で納得し、次の策を見つけられたら、それに向かって進むのみで良い。

プラス思考をマスターして自分を高めていれば、理にかなった理由を素直に受け入れ、エゴを受け取ることがない。
つまり、へこむ要素を持つことは、人の生き方にブレーキをかけ、むしろ持たなくて良い資質であると長年の自分の癖に教える必要がある。

その方法の1つとして質問する思考パターンを訓練する。

質問には順序がある。まず、自分にする。なぜこうなったのかを考えられる、あらゆる事を頭から絞り出すように。
すると、おのずと解決する場合もある、しかしどうしても自分にノウハウが足りず経験者に意見を聞きたい場合に、ようやく他人に質問する時が来る。


そしてその質問をするという勇気こそが自分を高める1歩となる
このように、前もって自分の頭の中を質問によって整理しておく。

自分に何が足りなかったのか
次どうすればいいのか?
足りない部分を補うには自分にとって何が必要か?考える。


はじめのうちは経験者に答えを求めて聞きに行くのもいい、有名といわれる先生に習う事も、技術の世界にはよくある話で、私も過去にセミナーや勉強会、講演会に参加したことがある。そのうち経験を積むと、自分の色が発色しだす。オリジナリティーというやつ。

ある形式に沿ってその場限りの形を作り続けるより、自分が表現しやすい形で、理にかなっていたら、それが自分らしく働きかけるということである。
そうなると、感覚的に動くようになり、人間同士の形のない絶妙なコミュニティーの中、仕事をこなして行ける。


私に、次のステージを知らせるきっかけが来た。他職種だかヒントを頂いた。


それは、
後輩を育てること。新米、未経験者たちへ。

ノウハウを伝えることは出来ても、教えた方はそこで満足してはいけない落とし穴がある。
その後の伸びは、本人に委ねられるからだ。
説明したから、できるとは限らない。そこを合わせて、フォローが必要となる。主に、このブログ記事にもよく登場する、考え方や心構えの持ち方を、マスターして、新しいことを学ぶということ。


「努力すれば必ず報われる、どんな不器用でも。」

これは、衛生士学校の実習助手をしていた頃に、確信した。


ところが、
「努力は嫌だ」
「面倒くさい」
(出来る人を見て)「私にはできない」などの、思考習慣ある場合、
長続きしなくて失敗した状態が、三日坊主に例えられる。
マスターすべきことを聞いておいて、忘れ去って行くこと。こうなりたい願望を超えて、苦手意識が育っていること。


願望を素直に実現に向かわせるためには、今までになかった心構えの学びが、必須となる。

我が家のお父ちゃんは、料理好き。














2015年12月20日日曜日

基本という、美しさ

何の分野においても「基本は大切」 といわれる。

基本とは単純な作業に見えがちだが、それをもとにして、あらゆる枝葉がのび、経験をかさねて花開いてゆく。

新しく、
「これが基本」だとを習い始めた当初は、もちろんぎこちなく、 まるで自分を合わない型におしはめてゆく感じ。
 しかし、 基本を繰り返し馴染めば そこから 自分らしさ という応用編があらわれる、この時を待っている。


基本をマスターして おげば 応用編に うつった時に レパートリーが増す。

ではその基本作業にどれほど時間をかければ 応用編がうまく表現できるかというと
 基本が分かったと認識しても、なお繰り返し重ねることで 基礎が 固められ 土台が しっかりしていく。
だから、いつも基本はそばに置いておく。
 応用編に、憧れ早期に多く取り入れるよりも 基本を何百回も重ねておいた方が応用が綺麗に表現できる 。

華やかにみえるものも、その裏のほとんどが「基本」で、裏打ちされた厚みがある。


今、習っている太極拳の先生も、基本が大事とおっしゃいます。あわせて、「本物の太極拳」に対する語りには力が入る。

我流で基本から外れること無く、アレンジするのはよいとしても、せっかく学んだ基本を「勘違いしたアレンジ」で、本物から遠けることは、間違いだと。


 太極拳にもあらゆる種類があるが、 私は 経験年数の割にはレパートリーが少ない。
 逆に 同じことを繰り返す 年数が多かった分 基本を長く練習することができた。
 結果 次の新しい動きを覚えるにあたって長期間のシンプルな 基本が、次の応用を覚える際に一歩ずつ着実に、進めるもととなっている。

純正な基礎は美しい

見た目で分かりにくい、奥深さを持っている。

2015年12月16日水曜日

育児に使う知恵

就学前の子ども達 。
一日の終わり に近づく頃、夕食が終わって、 あとお風呂と寝るだけだ ー!ゴールはもうすぐだー!

夕食の片付けをしているあいだに 「兄弟でお風呂に入っておいで」 と言って 一筋縄に行ったことはあまりない 。だからお風呂に入っていただくために、 あらゆる手段を取ったものだ。

大した理由は無いと思うのだが、
「 お風呂に入って!」というと、
あたかも正当に、「 嫌だ!!」という。
 長男が一声あげれば、下の子もなぜが、もっともらしく口をそろえて同じセリフをいう。

まったくこれまた、困ったもんだと思うが こちらだって大人の知恵を使わねばなるまい。
この時に とにかく想像力というものが かなり必要だった 。

なんせ、このタイミングで必殺の 、「魅力的 な想像」を投げかけなくてはならなかったから。 それは私への挑戦でもあった。


それらの一つに「 レジャーシート作戦」 というのがあった。

遠足などで使用済みのレジャーシート、洗いたいが大きすぎて なかなか洗いにくい。 そこで お風呂で洗おうと思っていたところ、

例による抗議、すかさず、
「お風呂でレジャーシートしいて(排水口)塞いでみたら・・・海になったりして?」(これで行くか!?)

たちまち 目が輝きだし、回れ右で走りだす。(母:よっしゃー!!)
今でも、走り去ったあのかわいい後ろ姿たちを、忘れられない。


またある時は・・・・・・
新しい 灯油ポンプ、 子ども一人につき1 ポンプ。 プラス短めのホース1本。

ポンプから水を汲み上げて掛け合いっこしながら体を洗う。お風呂のドアも洗う。天上も洗う・・・水浸しだった。

この経験から、水位の高いところから低いところへ、ホースやポンプを通して水が流れ出ると学んだそうな。

この時はお風呂行動が早かった。

あれから、数年経っているが、子どもと一緒に買い物へ出かけ、ふと、灯油ポンプの商品を見て、「(私の)ピンクのは?」と思いだしたことから、忘れかけていたアルバムが開かれた。

そうそう、ピンクのポンプは1,5倍汲み上げ可能っていう・・・代物だったよね。


我が家の子たちは、いろいろ楽しい遊びをしてきた。

自由を、楽しんでいた。その様子に、幸せを感じていた。

私の育児の喜びは、大人の発想を超えてこそやっと、子どもしか入る事のできない聖域に少し近づける瞬間に喜びを感じた。

2015年12月14日月曜日

プレゼント

プレゼントとは決して物理的なものだけに言えるものではない。
人が満足する、感動するなど、形はないけれども、相手にそのような刺激という形
で届いたのなら,とても素敵なプレゼントだ。

そう考えれば、子どもにも、いい刺激で、楽しく人生を送れるようなノウハウをプレゼントとして送りたい。

私たちが経験したことからなら、それは経験から学ぶ、アドバイス的プレゼント。

しかし、経験する前に最低限の、「生きてくためのお約束」なるものを知っていて、伝えることができたなら、いろんなことを遠回りせずに、本質に向かいながら「人生経験」を積んでいくことが出来るに違いない。

私達は、「これ!」という中心軸を据えて、楽しく生きていっているだろうか?
自分をどう、取り扱ったらいいのか、わからなくなる時は、無いだろうか?

そこが、一番知りたい!自分の人生を自由自在に構築する事。



そうすれれば、経験する前の知識と実際の周りの大人の姿を見て、子どもは自分で見、聞きし学び取る。


そしてその学びとりが、今後のその子への人生最大のプレゼントになるわけである。
答えが自分で出せる「脳」を持つという事である。

それは日々の習慣によって積み上げられる些細なプレゼントの集まりからなる。

ありがとうって 声をかける
嬉しい気持ちを伝える
大好き
みんな元気で良かった
 困っていることはない?

人の心は、言葉で作りあげられる。

たった今、私たちはどんな言葉を、相手の心にプレゼントすることができるだろう。


文字だけをを見て、理解するより、その時 ぴったり心に 当てはまる言葉に、そのタイミングで触れることができたら 、大人だって、子どもだって、嬉しく感じる。感動する。


例えば「感謝することって大事なんだよ」と言う説明より、感謝する状態を直接、コンタクトをとることが1番伝えられる方法じゃないかと思う。

とりあえず説明した。行動した。という形だけの経験より、心で感謝を相手に届けることから、くみ取られていくのじゃないかと思う。

誰にとってもいい事ならば、素直な気持ちで素直な心を表現したい。

当たり前のことだけれども、それを表現することが難しいと思う人は、少なくない。
いいことを表現することに、嫌悪を感じてしまう・・・、そんな自分はダメな自分と決めつけていないだろうか?他人の視線が、そんなに気になるのか?

素直になれない自分て、何なんだろうか?
何が、心のブレーキとして働いている?
それはいつから?
質問は、自分に続ける。

そうやって毎回ブレーキをかける自分が1歩前進させないように日々力をかけている。本当は、そうしたい!と思う時でも自分を抑えこむ。
これを、長時間放置しておいたら、自分は何を学習するだろうか?

すぐ忘れてしまうことはあっても、些細な瞬間は、学習されていく。

あー、それリセットできるなら、したい!・・・その気がアレば、出来る。


本来の自分に、間違い探しをする学習を、真剣におこなうと...。

自分を責めることは、必要の無い事だと、この頃私の頭に、自然に定着しつつある。
理がわかり学習してみれば、なんとストレスの無い事だろう。


そうなると、とても気持ちが楽なので、毎日リラックス状態で必要なことを考えて、不必要なことは減少する。
バタバタする、振り回される、落ち着かないことが、なくなったから。

私は、少し時間をかけて、自分に合ったプレゼントを自分にできた。
その経験が、他の誰かに役に立てることがあるかもしれない。
だから、その力になれることを願って、これからも表現しようと思う。

この授かった体があるのだから。


プレゼントは、する方がワクワクする。






2015年12月8日火曜日

人間の食性

私達人間は進化を繰り返して現在に至っている 。それは 口の中のにおいても同じことが言える。

 例えば ニッコリわらった 口元に見える前歯、 平らで 厚みが薄く  食べ物が噛み切れる形になっている 。

奥歯においては臼状の形をしていて 前歯で噛みきられた 食べ物は、この臼の奥歯でつぶしながら食べている。

そして、このような役割を持った歯の存在割合で、何をどんな割合で食べてきたかが予測される。
それは、人間の食性である。


繊維がたくさんある野菜などの食べ物は前歯でかみきってから口の奥に運ばれる。

特に犬歯は尖った形をしているので、肉などを噛み切るのに適しているが、犬歯の存在割合は全体の1割程度で一番低い。

逆に、奥歯(臼歯)のすりつぶしに適した食材は穀物類、でありその割合は全体の半分以上である。
      

という事は、


人間の食性は、そのほとんどが穀物で、野菜、ついで肉類となり、その割合で食べられていたことが、私達の歯の形から読み取れる。現代食は本来の割合の逆さまではないか?


さらに、
私達は咀嚼運動をして、食事している。
前歯で何かをかみちぎり、奥歯に送りながらすりつぶして、ひとつの塊にしてゴックンする ・・・この流れが基本である。



ところが この 咀嚼という 言葉どおりの食事が現代されているかと言うと、 残念ながら 本来の機能を十分に使われないまま 丸呑み状態になっていることが多い。

小学校の給食の時間、10分以内に食事を終えてしまう児童がいた。
「なぜ10分以内で食事を終わらせることが出来るかというと?」と返すと、「噛んでないからー。」と、返事がかえってきた。
本人は、その理由が充分わかっているのだ。

でも効率に任せてか、できてしまうからか、日々習慣になっている。

毎年行われる地元の餅つきで、昼食時間のあいだに、お口の健康について話すというお題をいただいた。

ここは、三世代が集まった場所、当たり前にある機能を当たり前の視点で話すことがあってもいいのかなと、今回は「人間の食性」という切り口から、話がはじまった。


10年ほど前に離乳食の食べ方について勉強したことがある。

離乳期の半分以上は飲み込みかたの練習をする。 後は 前歯で食べ物をかじり取り 、自分の一口量を覚える という作業 仕上げていく過程を繰り返して離乳期が完了する。

この作業を覚えるために あらゆる性状の 食べ物 で口の中の処理のしかたを練習、訓練し、手と口の首、頭の連動共同作業を学ぶ。

歯の機能を、フル活用するための、練習メニュー「よく噛んで食べるために」




そして、そこに関わる介助者の大人は、おさじの取り扱い方を知る必要がある。

何を基準に、介助に付けばよいかを、説明するものは、一般的に少ない。
がために、噛まない・噛めない習慣を大人は知らないで教えているのが現状だ。


とても大切なこと、それは考えたら当たり前の事。

子どもは、成長期を一気に駆け抜ける。

大人がぼやっとしていると、必要なタイミングを取り逃がしてしまう。


人間の食性から、歯の機能を知り、今ある歯を、よく使って、よくお手入れして、健口生活始めよう。








2015年12月2日水曜日

歯は命!

当時は流行り文句として、爆発的に広がった、このセリフ。
今では、一般人も芸能人の真似ができてしまうかもしれないほど、着飾ったり、あらゆる工作を自分に施して、見栄え良く創り上げることが出来る。

口の中も同じで、本来ならなくなってしまったものでもあるように出来、とりあえず審美的にはOKだ。

「とっ変えればキレイになるよ!」という、安易な雰囲気も漂う危機感。

満足な環境を整えて、その自分への投資が有効になるか無効になるかは、その人次第。

人は、常に思考が習慣化する要素を育てている。
それは、その時その時 の考え方の習慣が

1,将来的に自分のためになる行動につながる考え方

2,将来的に自分の為にならない行動になってしまう考え方

3,その場かぎりですぐ忘れる、つまり聞いただけ、見ただけで終わり、
保留したまんまフェイドアウトしてしまう癖を持った考え方

のいずれかのパターンに当てはまる。 常にいつもどれかに振り分けられているなら、どれが自分に一番多いだろう?

現代人は年齢に関係なく3があまりにも多い。頭のなかで とどめておくことがないため 常に思考が流れ続ける。 1分前の会話がわからない。

口の中がリニューアルされ 、「さあまたやり直せるぞ」と、期待を自分にかけることは、とてもいいことだ!

それには、メンテナンスや、自己管理についての情報を得ることが必要で
更に、なぜ自分の歯がそんな状態になってしまったか?と、知識を得て、その理由がわかれば、
同じ間違いを繰り返さないノウハウを知ったことになる。

現代技術により、手にいれたものはその後の扱い方を知り、自己投資が有効となる方を選びたい。

この技術には、3を招くような仕組みも隠れている。
特に薬の効用に、頼り切ると危ない。
「痛くなったら、また飲めばいい。」という、3が来て、2の解釈にのる。



西洋医学の薬は、対処療法に基づいているため、「一時的にお世話になり」で、症状がなくなることが多い。しかし、その後何事もなかったかのように、その感覚を麻痺させる。



これはその都度、方法の選択だけでなく、自身の体をよく知ることが大切である。
つまり、歯に関心を持って行動を始めると、自分の生活そのものを、考える事になる。

ライフステージや人生経験の違いはあっても、人にとって必要なことは同じである。
体は、無理を通すと必ず悲鳴をあげる、極度の痛みが出る前に「あれっ?」と思うことがそれではないか?


賢者は歴史に学ぶ、という。

実際、自分が困るまで先延ばしにしておいて、その時慌てる人もいれば、事前に経験した人から話を聞いて、自分が回避できる道を探すという、後にとても賢明な方法を選ぶ人もある。

すべては、想像力。


「こうなるまえに、気をつけておいたほうがいいわよ〜。」っと、私が言うより先に、経験者の患者様が体験談としてお友達に語ることもあるらしい。

例えば、若い年齢層であれば、不安な疑問をたくさん持っている。
おまけに、素人では答えられない質問をぶつけられてしまい提案した人が、困ってしまったという例。

また、ライフステージが違う、50歳代の年下年齢層へ、「こうしたほうがいいよ。」と声をかけてみたが、聞く耳を持ってもらうことが難しかったと、嘆いておられた人もいた。

「自分にとって良かったことは、知らない人にも伝えたい!」と思うことは、誰しも自然な思いの流れである。

自分にも、他人からこのように、目の前に学びのチャンスは突然やってくる、
他人の経験から学び、さて自分なら何を用意しておくか?

策を練って、転ばぬ先の杖を手に入れる。