2015年11月24日火曜日

教育の中に入る

学校教育で、一番長いステージの小学校。

我が子が初めて入る頃、自分の小学校時代の古い記憶しかなく、心配や不安もあった。「何が」かというと、
「学校のシステムにのれるだろうか?」
「勉強が始まるけど,ついていけるだろうか?」
「友達は?」など、
すべて、自分の過去の記憶から、不安心理が出る。

本来、

学校ってどういうところなんだろう?
何を学ぶところだろう?
保護者になった今、何するところなのか?

まだ、我が子は学校行ってないのに、そんな事を考えていた…。
だから、就学前検診で集まる保護者の会は、そんな雰囲気に包まれている気もする。
ある小学校で、この時間に学校の図書ボランティアが、保護者に絵本を読んで聞かせる時間があった。
「だいじょうぶ だいじょうぶ」という絵本だった
優しく、語りかけて大人たちに向けた読み聞かせをする。
「素敵だ〜!」と、不安な心に、あたたかさがしみいった記憶がある。


そう、大丈夫!大丈夫!しっかりと、我が子の状態を観察して、感じ取る心を準備すれば・・・。
ところが、考えなくて良い、感じなくて良い気持ちが、湧いてくる。


学校の先生が言われる事と同じ事をし、言われた事をそのまま子どもに教え込ませる事が家庭ですることなのか?
私たちは、我が子のことをよく知っている。先生よりも知っている。
それは当然の事だが、このことを忘れてしまい、目の前の指令と感じる事に囚われてしまうと、我が子が見えなくなる。


今まで、我が子を育て、見てきた事、知った事がある。
その子がその子らしく生きるための、ほんの一部の教育時代。

長い目で考えたら、日々の事が積み重なって大人に向かうのだから、今のその時を見逃すわけにはいかない。

私個人の、過去に執着した経験から来る考え、を挟まずに、そのままのわが子に向かい合う。
そのために、自分の考え方を整理することを決意し、学んだ。
その結果、
願望は喜びと共に持てるよう、想像力豊かな子ども時代を過ごして欲しいと、思うようになった。




今や、
たくさんある授業の中の、1コマで唯一、保護者に与えられたチャンスと言えるべき時間をもった、「読み聞かせ」の時間に関わることになったPTA活動。

子のお誕生祝い:寿司ケーキ

面白くなかったら、子どもは聞いてくれないのが現実、それを我慢させるほうが、無理を子どもたちにお願いしていることになる、とするならば、

読み手が楽しくて、頑張っている姿、一所懸命に注ぎ込んでいる姿、楽しそうな姿、堂々とした姿、大人の落ち着いた姿、どれもよく見られていて、そんな姿をみて少なからず影響を受ける子どもたち。
聞かされているのではなく、聞きたいから聞く。

それに、応えられるよう大人は誠心誠意とたっぷりの愛情をそそぐ。



あの時、先輩保護者から、癒しの時間を十分に注ぎこまれ、満たされた事を忘れない。
それに応える為にも、私にできること。
教育の中に、求められるもの。自発的に、その子にとって集中というツボを刺激し、本来の自分が感じとれることは何か?その質問を繰り返して、親という経験を積む。
想像力と共に生きる子どもたちに、私たちが習うことは計り知れない。










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