「協力してください」と。
答えのない返事が帰ってくる。
何も、冷やかしで協力を呼びかけたのでは無い、その人が何をして欲しいのか、聞いている側が想像できたら、それが可能かどうかがわかる。
事前に協力者らしき人に打診しておいて、大勢に呼びかけた時に「はーい」と手が上がったら、それにつられるように賛同者も得られるかもしれない。
しかし、そのつてがなかった場合、沈黙のまま無反応という、寂しい結果を目の当たりにするときもある。
大人なら、「おいおい誰もいないのか?」なんて言えるかもしれないが、子どもたちのやり取りの中だったらどうだろう。「一人ぼっち」の寂しさを味わう瞬間。
娘の好物 |
そんな時、その小さな心は何を考えるだろうか?
自分の心をすぐさま言語化は出来なくても、子どもの心は鋭く敏感な感覚を持っている。
こうして欲しいという気持ちを用意していたのなら、なおさらだろう。
子どもは想像力を持っている、しかしその想像力も「使わない」という日常を送ってしまっていたら、悪気なくとも、知らずに相手を傷つけてしまう時がある。お互いが、傷になると思わなかったとしても・・・。
いろんな気持ちを経験してきた私達大人は、気をつけておかなくてはならない。
日本人の文化とも言える「思いやる気持ち」は、大切で万人に必要なことだ。立場を逆転させて考えたらわかること。
どうしたら、相手の気持ちを受けられるか?伝わるか?そのノウハウは、ほんの些細なことの積み重ねで培われる。
将来、あらゆる経験をするであろう我が子に、今からの経験と準備をさせる。
「困った時は、その気持ちを、お手紙に書いてみて。」
国語表現の力だめしは、こんな形で現れる。
「さみしかった」という気持ちを、「心が凍りついた」と、表現した彼女。
短い、簡単な文にまとめて、学校へ出向く。
たくましくなったその背中を見送り、事実を見て、真実に迫って欲しい。
あなたは、「真実を知る子」だから。
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