幼少期の我が子に、本気で何かを伝える時は、どんな事だったろうか?
面倒になる
危ない
厄介なもの
を、
排除する事に、集中している傾向がある世の中、それは本当に排除して解決に向かうのだろうか?
子どもには、とにかく「なぜ?」に、答えを見つけるための道を、確かめる事に付き合いたい。それが今すぐ大人の目に解決と、映っていなくても…。
今、何を大切で伝えなくてはいけないのか?
その真剣さを面倒になり、モノや要求にすり替えてしまったり、
力でねじ伏せてしまったら、
大事な話も止める事なく流れてしまう。
子どもからの目先の要求に、圧力をかけたり逃げたり根負けで何がなんだかわからなくなると、「その流れ」という方程式が出来上がる。
これは、排除側に結果が良いか悪いか?に焦点を当てて導き出した答えだ。
そんな計算式を、判断の基準の公式に毎回当てはめていると、
これらの経験から知恵を蓄え、本気度合いを探られているのは大人達。
その時その時の、いいと思った方法を考え出せば、方程式に当てはまらなくても、それはいい。
間違いや正解のような、二つに一つを選ぶ世界じゃないから。
次に繋げるために、あらゆる選択肢からいい方法を選び抜く。
それはまさに、
「考える」時。
子どもは、想像力に満ちている。
その想像力を追いかけるように、興味を持てば、
実は子どもたちが私達を呼んでいる。
「ねえ、ここまで来られる? 来て!」と。
カチカチの脳ミソから、アンチエイジングは難しい。
40代は、歳をとって若返りたいと切に願う前に、準備をしておこう。
それは、想像力!
子どもから、教えてもらえる事。子育てそのものは、そういう意味で得をする。
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