2015年10月15日木曜日

大人は子どもに試されている

幼少期の我が子に、本気で何かを伝える時は、どんな事だったろうか?

面倒になる
危ない
厄介なもの

を、
排除する事に、集中している傾向がある世の中、それは本当に排除して解決に向かうのだろうか?

子どもには、とにかく「なぜ?」に、答えを見つけるための道を、確かめる事に付き合いたい。それが今すぐ大人の目に解決と、映っていなくても…。

今、何を大切で伝えなくてはいけないのか?

その真剣さを面倒になり、モノや要求にすり替えてしまったり、
力でねじ伏せてしまったら、

大事な話も止める事なく流れてしまう。

子どもからの目先の要求に、圧力をかけたり逃げたり根負けで何がなんだかわからなくなると、「その流れ」という方程式が出来上がる。

これは、排除側に結果が良いか悪いか?に焦点を当てて導き出した答えだ。


そんな計算式を、判断の基準の公式に毎回当てはめていると、


これらの経験から知恵を蓄え、本気度合いを探られているのは大人達。

その時その時の、いいと思った方法を考え出せば、方程式に当てはまらなくても、それはいい。
間違いや正解のような、二つに一つを選ぶ世界じゃないから。

次に繋げるために、あらゆる選択肢からいい方法を選び抜く。

それはまさに、
「考える」時。

子どもは、想像力に満ちている。
その想像力を追いかけるように、興味を持てば、

実は子どもたちが私達を呼んでいる。

「ねえ、ここまで来られる? 来て!」と。

カチカチの脳ミソから、アンチエイジングは難しい。

40代は、歳をとって若返りたいと切に願う前に、準備をしておこう。

それは、想像力!

子どもから、教えてもらえる事。子育てそのものは、そういう意味で得をする。







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