2015年8月8日土曜日

心の視覚

人は、目で見ているものと、心で見ているものの、2つの視覚を持っている。

実際目で見て、あると認識できるものならいいが、それが「もう見たくない、見ないようにしたい」
と思えば、そう思ったとおりに見ることができる。

つまり、あってもなかったことにできるほど、心の中で拒否をし続けて生活することも可能である。

しかしそれは、本当は見えているのに自分に嘘をついた形で「見ない、見えない」ようにしているので、

時々、本当の自分は「それって、おかしくない?」
と、心の底からささやくように、ふと思いとして湧き上げてくるときがある。

そんな時、「やっぱり、見えているよね」と、認めてしまえば実はなんてことはない。
だけど見てしまうことに、恐れや不平不満、恐怖などを感じてしまうと、やっぱり「見ない、見えない」ことにして、蓋をしてしまう。
フロスと♯30木綿糸、どっちだ!?

歯と歯の間を掃除する、デンタルフロス。
歯ブラシで届かない部分の汚れをかき出す、糸。
これを、使うと結構汚れがついてくるので、びっくりしてしまう人もあると思います。

一度通したら、どれほど往復したらいいのか?
歯茎の中に入れても大丈夫なのか?
歯と歯の間を通す時、勢い余って歯茎にグサッ、なんてことも・・・

など、質問を受けました。

「1回通して、まだ汚れがあるような気がするけど、それは見ないようにしていたんですが・・・、やっぱりまだ、ついてますよね〜。」
ってなことで。

はい、そのとおり!よく、たどり着きました。

このような、ほんの生活の一部で些細な事かもしれませんが、ちょっと立ち止まって考えてみたら、
疑問に思うことは、自分に問いかける質問として大切なことです。

自分に問いかける質問力をアップさせる。それは、人の考える力をアップする方法です。

自分のまわりで起こること全てに、何か質問が湧いてくるか?またはそんな気持ちを持って見てみると、何かに気づくときがあるかもしれません。

心(潜在意識)は、善悪の判断ができないという性質を持っています。

自分にとって良かれ悪しかれ、その経験がその時「快」と感じるか「不快」と感じるかで仕分けされ、その人の行動パターンを作っていきます。

確信に迫らず、見ないようにして「安心」を覚えたら、それはそれでよし(「快」)とする経験となります。

しかし、いつか頭打ちが来る、そうまでなくても「あれ?」と、なるわけです。
私達は、この勘違いのような間違った感覚は修正する必要があります。

問題が生じた時、立ち向かい乗り越えていけば「快」の経験となります。
反対に、立ち向かわず「不快」として、逃げてしまえば本当は超えられた問題も、超えられぬまま
形を変えて同じパターンの問題がまたやってきます。

自分のためになることに、「快」と感じ、
自分のためにならないことに「不快」という感じ方を、自分に学びましょう。












0 件のコメント:

コメントを投稿