一年前、娘にとって大切なお友達をなくしました。
歳の差は70歳以上、お隣に住む1人暮らしのおばあさんでした。
お付き合いの期間は、5年ほどですが、二人は逢えば楽しそうにおしゃべりをし、あらゆる話をしたそうです。
入院された時期もあり、小学校の宿題の日記に、「わたしの、友達が入院しました。腰が痛いそうです・・・」という書き出しで思いを綴ったこともありました。
お見舞いに行って、お手紙を渡しに行っては、「早く病院から帰ってこないかな〜」と期待しつつも、とうとう、その命に終わりが来たと知った時、娘はまさに三日三晩シクシクと思いだしては、泣いていたものでした。
夏休み期間だったので、日々どうしてやったらいいものかと思いましたが、辛いけれど命には終わるが来ること、これからはいつでもずっとお空から見てくれているよ、とシクシクするたびに、話をしていました。
そしてお葬式の日に間に合うように、彼女にお手紙を書いて親族の方へ託すことにしました。
短い文でしたが、娘が本当に楽しい時間を過ごし、また生まれ変わってもお友達として逢いたいという内容の文を最後のメッセージにしました。
いつか、自分も命に終わりはやってくる。
それまでに、形はないけれど、まだ生きている人たちへ残せるものは何だろうと思う。
今、生きてきて、わかったことがある。
今、生きてきて、知らないこともある。
体があって、思いを表現できるすべや、誰の前にもすぐ近くにたくさん学びがあるからこそ
シンプルで、忘れてはいけない、「何か」に気づく。
その気づきは、人によって種類は違うかもしれないけど、向かっている方向は受け継がれていってほしいものを、残していけたらいいと思う。
死ぬ準備といえば、まだ早いと言われるかもしれないけど、私の周りで起こることは、このような形で
考えるきっかけをくれる。
よく考えて自分が出した答えは、自分にとって必要なことだ。
本物の楽しく生きるを探し求めて、「行くぞ〜!」
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