2015年7月27日月曜日

トラウマ

何かのトラウマを、持っている人がいます。
歯科においても、歯科恐怖症の人は、めずらしくありません。

その時の苦痛が大きければ大きいほど、思い出すだけでも、嫌な過去です。

その時の状況や、年齢的なもの、など環境によって様々です。

よく聞くのは、
「とても痛い思いをして、未だに怖い」
「痛いけど体が硬直して、我慢するしかなかった」
顔をタオルで、覆われる恐怖心
小さい頃に、抑えつけられた・・・など。

これを機会に、歯科を遠のき、症状を悪化させてもなお、まだ受診せずにいる人も、
あると思います。

トラウマは、もう過ぎてしまった過去の出来事ですが、それを超えるには、
もう一度同じ道を試して
超えられる実績ができると、一歩ずつ進んでいけます。

それに欠かせないのが、診療室内では、コミュニケーションです。

これまでの、歯科に対する経緯
今の、ありのままの、症状や状態を整理して伝える
これから、放置した場合の考えられること、起こりうる可能性
それを回避するために、今できること
それに必要な、お互いの協力

つらかった気持ちをくみながら、診療室にまで足を運ぶ行動に移ったのならば、それをうまくつないで、心をほぐして、過去超えられなかった部分を、少しずつクリアしていくと、今度は本人の自信につながります。

今日の「できた!」は、次の「できる!」の、確信に。

これは苦手克服の、プロセスとなります。

あまりにも、結果を早く求めすぎ、「できた」か「できなかったか」に焦点を当てると、早く結果が出ないばっかりに「できていない」と、答えを出してしまっては、あきらめが速すぎます。

長くかかって、癖ついてしまったような経験は、時間が必要で、解きほぐすプロセスに注目できる視点が必要です。

しかし、「乗り越えてみよう」と思うも、「やっぱり嫌だ」と、逃げるのも、実は本人の自由です

                 が、

「嫌だ」と逃げまわっていることについては、まためぐりめぐって自分の目の前の問題として必ずやってきます。

何故やってくるかというと、超えていないからです。

あらゆる分野で「超えよう」と、頑張っている人はたくさんいます。
なぜ、超えられないのか?
それは、何がそうさせているのか?
それを、超えたらどうなるのか?

と、考えることが自分勉強で、これは今の学校教育で提示されることのない考え方です。
「なぜ?」と、立ち止まって考える、それを知りたいと思うか、思わないか?

これが、運命の分かれ道、流れる思考に乗せてしまったら、「なぜ?」は、「ま、いいか。」となり、そのうち、なかったことになります。

自分勉強って、一つ一つ「あ、そうか、これか!」に、辿り着くため、絡まった糸が解けるようなすっきり感があります。
そうやって、「できた」があり、積み重なって、自信につながるわけです。
いくつになっても、気づいたときが始まりの時、勉強とは嬉しくすすめるものです。


昨年まで水恐怖症の娘、スイミングスクールでマンツーマン指導、粘り強く教えてくださった先生に感謝。やったね!







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